HISTORICAL PERSON · 1271年没

ヘレナ・アンゲリナ・ドゥーカイナ

エピロス専制侯の娘でシチリア王マンフレーディの2度目の王妃。夫の戦死後シャルル・ダンジューに捕らえられ、幽閉されたまま没した。

生涯
1271年没
死亡地
イタリア共和国(サレルノ県 / ノチェーラ・インフェリオーレ)
出生地
—
出典
世界地図
イタリア共和国(サレルノ県)

伝記

ヘレナ・アンゲリナ・ドゥーカイナは、1242年ごろに生まれ、シチリア王マンフレーディの2度目の王妃となった女性である。父はエピロス専制侯国の支配者ミカエル2世アンゲロス・コムネノス・ドゥーカス、母はテオドラ・ペトラリファイナで、兄にニケフォロス1世、庶兄にテッサリア領主ヨハネス1世ドゥーカスがいる。父方の先祖は、ビザンティン帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスと皇后エイレーネー・ドゥーカイナである。

1256年、ミカエル2世は、領有していたアルバニアの都市ドゥラスをニカエア帝国皇帝テオドロス2世ラスカリスに奪われた。マンフレーディはのちにドゥラスとその周辺を攻略して、2年ほどのあいだ領有した。ミカエル2世は返還を求め続けたが、当時テッサロニキの包囲を準備していたため、強硬に出ることはできなかった。

マンフレーディは、1257年に最初の王妃ベアトリーチェ・ディ・サヴォイアと死別し、1258年8月10日に王位に就いていた。ヘレナとの結婚は1259年6月2日とされるが、1257年から1258年8月までの間ともいわれ、日付ははっきりしない。この結婚は、エピロスとシチリアの双方が抱える差し迫った懸念のなかで平和を保ち、強まるニカエア帝国に対抗するための同盟の表れだったとされる。ヘレナの持参金には、マンフレーディが占領したドゥラスとその周辺の権利、およびコルフ島が含まれていたが、マンフレーディにとって明らかな領土の獲得となったのはコルフ島だけだった。結婚の経緯の詳細は、ほとんど伝わっていない。二人のあいだには5人の子が生まれたともいわれる。長女ベアトリーチェは1258年ごろ、フェデリコは1259年ごろ、エンリコは1262年、エンツォは1265年ごろの生まれとされ、末の娘フロルデリスは1266年ごろに生まれたという。

1266年2月26日、マンフレーディはベネヴェントの戦いで、敵手のアンジュー家のシャルルと戦って戦死した。シャルルはシチリア王シャルル1世として即位し、逃れようとしたヘレナと子供たちを捕らえて幽閉した。ヘレナは幽閉されたまま5年を過ごし、ノチェーラ・インフェリオーレの城で1271年3月14日に死去した。息子たちはカステル・デル・モンテに幽閉され、1299年からは卵城に移された。エンリコは最後のシュタウフェン家の一員となり、息子4人は生涯を獄中で過ごしたと伝えられるが、フェデリコは脱獄してドイツに逃れ、ヨーロッパの諸宮廷を転々としたのちエジプトで死んだともいわれる。ベアトリーチェはのちに解放され、サルッツォ侯マンフレード4世と結婚した。

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