伝記
マリアムネ2世は、ヘロデ大王の3番目の妻である。ヘロデは10人の妻を持ったとされ、その妻の一人にあたる。大祭司シモン・ボエトスの娘で、ヨセフスは彼女の結婚の経緯を次のように記している。
エルサレム市民のシモンはアレクサンドリア出身のボエトスの子で、かの地で名の知れた祭司であった。その娘は当時最も美しい女性と評され、エルサレムの人々が彼女をしきりに称えるうち、ヘロデもその噂に心を動かされた。実際に娘を見ると、その美しさに心を奪われたが、権力で辱めようという考えはきっぱりと退けた。そうすれば暴力と圧政の汚名を着ると考えたからで、実際その通りだったという。そこで妻に迎えるのが最善と考えた。シモンは王家と縁を結ぶには身分が低すぎたが、軽んじるには重んじられすぎてもいた。ヘロデは自らの気持ちを慎重に抑え、一族の格を高めて栄誉あるものにするという方法をとり、ファベの子イエススから大祭司の職を取り上げてシモンに与え、娘との結婚によって姻戚となった。
ヘロデの妻のうち子をもうけた者としては、イドマヤ人のドリス、ヒルカノスの娘マリアムネ、サマリア人のマルタケ、エルサレムのクレオパトラ、パラス、パイドラ、エルピスなどがいる。ドリスは、ヘロデが死の5日前に処刑したアンティパトロスの母である。ヒルカノスの娘マリアムネはアレクサンドロスとアリストブロスの母で、この3人はヘロデに処刑された。マルタケはアルケラオスとフィリッポスの母、クレオパトラはヘロデ・アンティパスの母である。そしてシモンの娘マリアムネは、ヘロデ・フィリッポスの母とされる。
この結婚で生まれた子は1人で、ヘロデ2世、またはヘロデ・ボエトスと呼ばれた。彼は姪のヘロディアスと結婚し、娘サロメをもうけた。このサロメは、継父にあたる叔父ヘロデ・アンティパスの前で踊り、褒美として洗礼者ヨハネの首を求めた女性として知られる。
紀元前4年、マリアムネ2世は、アンティパトロスによる夫ヘロデへの陰謀に関わったとされた。その結果、ヘロデは彼女と離婚し、父のシモン・ボエトスを大祭司の座から外した。さらに、息子のヘロデ2世もヘロデの最後の遺言で後継者の列から除かれた。
同じ年に亡くなった人物
- ルキウス・コルニフィキウス (紀元前 60年(推定))
- クィントゥス・マルキウス・レクス (紀元前68年の執政官) (紀元前 60年)
- マルクス・コッケイウス・ネルウァ (紀元前36年の執政官) (紀元前 60年(推定))
- グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス (紀元前 60年(推定))
- 蘇武 (紀元前60年没)
同じ地域に関係する人物
- ヨハネス・ピロポノス (570年没)
- ムスタイーン (1430年没)
- プトレマイオス1世 (紀元前282年没)
- ヒュパティア (415年没)
- Satyrus the Peripatetic (紀元前260)