伝記
ヨハネス・ピロポノスは、東ローマ帝国期のアレクサンドリア出身のキリスト教徒で、アリストテレス哲学の注釈者である。490年頃に生まれ、570年頃に没したとされる。フィロポノスとも表記され、「文法家ヨハネス」「アレクサンドリアのヨハネス」としても知られる。哲学と神学にわたる膨大な著作を残し、生前に論争を呼んだ独創的な思想家であった。キリスト教徒の家庭に生まれたのかもしれないが、前半生についてはほとんど何も知られていない。
ピロポノスはアレクサンドリア学派で学び、510年ごろから著作を発表し始めた。アテナイでプロクロスに学んだ新プラトン主義者アンモニオス・ヘルメイウの弟子で、ときには師の秘書も務めたという。初期の著作はアンモニオスの講義に基づいていたが、アリストテレスの『自然学』や『霊魂論』への注釈と批判を重ねるうちに、しだいに独自の思想を築いていった。529年には批判書『プロクロス反駁論』を著し、世界の永遠性を唱える主張を体系的に退けた。世界永遠論に対する戦いは、その後数十年にわたって彼が打ち込んだ主題となった。
こうした注釈の様式と結論のために、同僚や仲間の哲学者のあいだでは評判を落とした。530年ごろには哲学の研究をやめ、神学に専念したようである。550年ごろには『天地創造論』を書き、ギリシアの哲学者やカイサリアのバシレイオスの知見を用いて聖書の創造の物語に注釈を加えた。後期の作品では、アリストテレスの力学を退けて「インペトゥス理論」を提示した最初期の思想家の一人となった。この理論は、物体が動き続けるのは動作主からエネルギーを与えられたからで、運動が止まるのはそれを使い果たしたからだと説明する。誤りを含むものの、近代物理学の慣性の概念への第一歩を見いだしうる示唆に富む理論であったが、アリストテレスを過激に批判したため、当時はおおむね無視された。『天地創造論』ではこの理論を惑星の運動にも応用しており、科学史では力学の統一的理論を試みた最初のものとみなされている。
553年ごろには、第2コンスタンティノポリス公会議に対しキリスト論の面でいくつかの貢献をした。キリストの中には二つの結合した実体が存続し、結合しながらも分割しうるという理論は、人間の魂と肉体の結合になぞらえられ、合性論と一致する。また三位一体についても著作を書いた。ただし三位一体を三神論的に解釈したと受け取られ、没後の680年から681年に正教会から異端と宣告された。このため以後数百年のあいだ思想の伝播は制限されたが、著作はシリア語やアラビア語に訳されて多くが保存され、アラブ人にも学ばれた。ギリシア語版やラテン語版でヨーロッパに伝わったものもあり、ボナヴェントゥーラが影響を受け、インペトゥス理論は14世紀にジャン・ビュリダンに取り上げられた。
文法学、数学、物理学、化学、神学など広い分野で、少なくとも40の作品を書いた。アストロラーベについての論考は、現存するギリシア語最古のものである。作品は15世紀以降ヨーロッパで広くラテン語に訳されて出版され、アリストテレス『自然学』への批判はピコ・デラ・ミランドラやガリレオ・ガリレイに大きな影響を与えた。ガリレオは自著でピロポノスを大いに引用している。化学の分野でも、『生成と消滅』の注解で混合はいかにして可能かという問題を考察し、アリストテレスの方法を否定するよりも、むしろ洗練させたようである。
同じ年に亡くなった人物
- アブド・アッラーフ (570年没)
- オリュンピオドロス (哲学者) (570年没)
- Abraha (570年)
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