伝記
ムスタンスィル2世は、アッバース朝の第38代カリフであり、カイロに移ったアッバース朝の初代カリフである。1190年ごろにバグダードで生まれたとされ、本名はアブー・カースィム・アフマドという。父はアッザーヒルで、兄のアブー・ジャアファルは先にムスタンスィルを名乗ってカリフとなった人物である。バグダードの最後のカリフであるムスタアスィムの叔父にあたる。
1258年1月、モンゴル軍がバグダードに迫った。ムスタアスィムは息子を送って休戦を求めたが、聞き入れられなかった。2月10日に自ら子らを連れてフレグの前に出たものの、宮殿の略奪に立ち会わされ、宝物の隠し場所を明かさせられた。数日の略奪のあとでムスタアスィムと一族は処刑され。のちに1260年9月3日、バイバルスがアイン・ジャールートでモンゴル軍に勝ち、エジプトは、バグダードが受けたような大きな破壊を免れた。バイバルスは帰還後にスルターンのクトゥズを倒し、自らスルターンを名乗った。
それから数か月後、アフマドは、バグダードで起きた虐殺を生き延びた最後のアッバース家の一人で、遊牧民に護衛されてダマスカスに着いたのち、モンゴルと戦っていたバイバルスに招かれてカイロに着いた。バイバルスは自ら出迎えて受け入れ、アフマドは兄と同じムスタンスィルを名乗った。1261年にカリフに即位する。カリフはバイバルスにアッバース家を象徴する黒いガウンを着せかけ、これをまとったバイバルスはカイロ市内を騎行したと伝えられる。カリフはバイバルスを「全世界のスルターン」に叙任した。これはバイバルスに新たな正統性を与え、アラビアの聖地への保護権を正当化するものだった。カリフの擁立はイスラム諸国から好意的に迎えられた。
ムスタンスィルは、バグダードの奪還はイスラム教徒の義務だと宣言した。バイバルスはこれに反対しなかったが、カリフが求めた1万人のベドウィンの軍の代わりに、3千人を与えた。1261年10月19日にカイロからダマスカスへ向かい、そこから護衛を伴ってバグダード奪還へ出発した。その途上、ユーフラテス川のほとりで、のちのハーキム1世となる15歳ほどの親族アブー・アルアッバース・アフマドと合流した。川を渡った二人はアンバールでモンゴル軍とぶつかったが、アッバース朝の軍は敗れた。ムスタンスィルは1262年、戦いの中で殺され、行方がわからなくなった。アブー・アルアッバースは逃れてカイロに戻り、バイバルスに迎えられた。後継者がいなかったため、第30代カリフのラーシドの子孫にあたる傍系の彼が、次の金曜日にカリフに即位してハーキム1世となったが、実際には何の権力もなく、カイロの城塞に閉じこもって暮らした。
同じ年に亡くなった人物
- マティルド2世 (ヌヴェール女伯) (1262年没)
- ロスチスラフ・ミハイロヴィチ (1262年没)
- ギー1世・デ・ラ・ロッシュ (1262年(推定))
- Christina of Norway, Infanta of Castile (1262年)
- Izz al-Din ibn 'Abd al-Salam (1262年)
同じ地域に関係する人物
- サッダーム・カーミル・ハサン・アル=マジード (1996年没)
- イッズ・アッ=ダウラ (978年没)
- Muhammad Zaidan (2004年没)
- Abdullah ibn Mubarak (797年没)
- マルクス・アウレリウス・カルス (283年没)