伝記
マティルド2世は、1234年か1235年に生まれたヌヴェール、トネール、オセールの女伯である。モード・ド・ダンピエール、あるいはマティルド・ド・ブルボンとも呼ばれる。父はブルボン領主のアルシャンボー9世、母はヌヴェール、オセール、トネールの三つの伯領の相続人ヨランド・ド・シャティヨンで、マティルドは長女にあたる。妹にアニェスがいた。母方の祖父母はサン・ポル伯ギー2世と、ヌヴェール女伯アニェス2世である。1237年2月には、ブルゴーニュ公ユーグ4世と最初の妃ヨランド・ド・ドルーの長男ウードとの婚約が、結婚契約として取り交わされた。
結婚式は1247年とも1248年ともいわれる。1248年には、妹のアニェスがウードの弟ジャン・ド・ブルゴーニュと結婚した。夫妻には1247年から1253年にかけて娘たちが生まれた。1249年に父がキプロスで没し、これをもってマティルドがブルボン領主になったとも伝えられるが、ブルボンの領地の相続人は妹アニェスだったともされる。1254年には母が没し、マティルドは三つの伯領を受け取った。さらに1257年には、曾祖母マティルド・ド・クルトネが没し、その領地を手に入れたともいう。以後、マティルドとウードは、ブルボン領主として、またヌヴェール、オセール、トネールの伯として共同で統治した。ほかにドンジーやペルシュ・グーエの女男爵でもあった。
この結婚は、ブルゴーニュ公領にこの二つの伯領を再び結びつけるためのものだった。マティルドは1262年の3月か9月に、27歳か28歳ほどで亡くなった。領地は3人の娘に分けられ、ヨランド2世がヌヴェール、マルグリットがトネール、アリックスがオセールを受け継いだ。
娘たちは1268年に、それぞれ嫁いだ。ヨランド2世はフランス王ルイ9世の子ジャン・トリスタンと結婚し、のちにフランドル伯ロベール3世と再婚した。マルグリットはシチリア王シャルル・ダンジューと、アリックスはロシュフォール領主のジャン1世・ド・シャロンと結婚した。四女ジャンヌは1253年に生まれ、1271年に亡くなった。夫のウードは父ユーグ4世に先立って死去し、ブルゴーニュ公領は弟のロベール2世が継いだ。妹アニェスの一人娘ベアトリスは1257年に生まれ、のちにカペー家の分枝であるブルボン家の祖先となった。
同じ年に亡くなった人物
- Izz al-Din ibn 'Abd al-Salam (1262年)
- イブン・アル=アディム (1262年)
- ムスタンスィル2世 (1262年没)
- ロスチスラフ・ミハイロヴィチ (1262年没)
- ボロルタイ (1262年)
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