伝記
ベアトリス・デ・スアビアは、1203年とも1205年ともいわれる年に生まれ、カスティーリャ王およびレオン王フェルナンド3世の最初の王妃となった女性である。洗礼名はイサベルといい、ドイツ語ではエリーザベトまたはベアトリクスの名で知られる。スアビアとはシュヴァーベンのことで、父はシュヴァーベン公でローマ王のフィリップ、母は東ローマ帝国の皇女イレーネー・アンゲリナである。母はイサキオス2世アンゲロスの娘で、ベアトリスはこの夫妻の四女にあたる。姉のベアトリスは神聖ローマ皇帝オットー4世の皇后となったが、1212年に世を去った。
両親の死後、ベアトリスは従兄にあたるシチリア王フェデリーコ、のちの神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の庇護のもとに置かれた。フリードリヒ2世は文化を愛し、自身も教養が高い人物で、その愛を彼女に教え込んだともされる。この従兄が、カスティーリャ王フェルナンド3世との結婚を認めた。2人の結婚式は1219年11月30日にブルゴス大聖堂で行われた。ベアトリスは、洗礼名イサベルではなく、亡くなった姉と同じベアトリスの名をカスティーリャで名のるようになった。
年代記作者ロドリゴ・ヒメネス・デ・ラダは、形容語を好まない人物であったが、彼女を「このうえなく善良で、美しく、賢く、つつましい」と評した。息子のアルフォンソ10世も『聖母マリア頌歌集』の一つ(256番)で母をたたえ、その中で彼女は聖母によって奇跡的に病をいやされている。ブルゴス大聖堂には、彼女をかたどった彫刻が今も残っている。
夫妻の間には10人の子が生まれた。アルフォンソ10世(1221年生)、ファドリケ、フェルナンド、レオノール、ベレンゲラ、エンリケ、フェリペ、サンチョ、マヌエル(1234年生)、マリアである。末子のマリアは、1235年に生まれた。
ベアトリスは1235年11月5日にトロで30歳で亡くなった。最後の出産となったマリアの出産に関係した死とみられ、出産の後に亡くなったともされる。遺体はブルゴスのラス・ウエルガス王立修道院の王家霊廟に、エンリケ1世の棺の隣に葬られた。残された子のうち、長男のアルフォンソ10世は父の没後にカスティーリャとレオンの王となり、1277年には弟のファドリケを処刑させた。フェリペはセビーリャの大司教に、サンチョはトレドとセビーリャの大司教になり、エンリケはチュニスで過ごしたのち、ローマ教皇クレメンス4世からローマの元老院議員に任じられた。マヌエルの子には、アルフォンソ11世の摂政を務めたフアン・マヌエルがいる。アルフォンソ10世は、夫のフェルナンド3世が眠るセビーリャへ、1279年に母の遺骸を移させた。セビーリャの王室礼拝堂には彼女が座る像があり、1356年にはペドロ1世が、この像とアルフォンソ10世の像から貴金属と宝石をはぎ取った。1948年には、フェルナンド3世のセビーリャ征服から700年にあたって、現在の墓が造られた。祈る王妃の石とアラバスターの像は、頭巾と冠をつけた若い姿で、マントには城と獅子が刻まれている。
同じ年に亡くなった人物
- アンドロニコス1世 (トレビゾンド皇帝) (1235年没)
- マリア・フォン・ホーエンシュタウフェン (1235年没)
- アンドラーシュ2世 (ハンガリー王) (1235年没)
- アンリ1世 (ブラバント公) (1235年没)
- Qul Ghali (1235年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ガルシア1世 (レオン王) (914年没)
- ガスパール・デ・グスマン (1645年没)
- Agustin Garcia Calvo (2012年没)
- アルフォンソ3世 (アストゥリアス王) (910年没)
- ベアトリス・デ・ポルトゥガル (カスティーリャ王妃) (1408年没)