HISTORICAL PERSON · 1235年没

アンドロニコス1世 (トレビゾンド皇帝)

トレビゾンド帝国の第2代皇帝で、初代皇帝の娘婿。ルーム・セルジューク朝の服属下でスィノプ奪回の軍を送ったが壊滅し、都を包囲された。撤退させたものの、帝国は黒海沿岸の小王朝となった。

生涯
1235年没
死亡地
トルコ共和国(トラブゾン県 / トラブゾン)
出生地
—
出典
世界地図
トルコ共和国(トラブゾン県)

伝記

アンドロニコス1世は、トレビゾンド帝国の第2代皇帝で、1222年から1235年まで在位したとされる。ギドス家の出で、初代皇帝アレクシオス1世の娘を妻とした婿である。トレビゾンドの支配者のうち、建国者アレクシオス1世と血縁のない唯一の皇帝として知られる。ギドスという姓はビザンツ帝国の歴史に12世紀末から13世紀初めにかけて現れ、語源には諸説あるが定まっていない。1206年にニカイア皇帝テオドロス1世の将軍として、ダヴィド・コムネノスに味方したラテン人勢力を破ったアンドロニコス・ギドスという人物がおり、同一人物とする説もある。ただし、ほかに候補が見当たらないための推定という面が強い。

アレクシオス1世が没すると、帝位は年長の息子ヨハネスを越えてアンドロニコスに渡った。その経緯は記録に残っていない。ヨハネスが幼かったためとする見方もあるが、統治できる年齢の息子は複数いたとの記録もあり、年齢だけでは説明がつかない。のちの歴史家は、アンドロニコスを戦いの経験が豊富な老練な人物と評している。

当時のトレビゾンドは、スィノプでアレクシオス1世がルーム・セルジューク朝に大敗した結果、その服属下に置かれていた。1223年、スィノプの総督ヘトゥムは、条約に反してクリミア沿岸ペラテイアの貢納船を港で押さえ、積み荷も乗員も奪い、ペラテイアへ艦隊を送って略奪させた。アンドロニコスは艦隊を編成してスィノプへ向かわせ、兵は港に停泊する船の乗員を殺し、あるいは捕らえた。捕らわれていた地方長官と船、金品も取り戻した。

報復としてスルタンがトレビゾンドへ進軍すると、アンドロニコスは全軍を集めて城に通じる峠を固め、先陣に大きな損害を与えてから城壁の内に退いた。1224年に始まった包囲では、スルタンが聖エウゲニオス修道院の近くに陣を張って城外の町に火を放ち、数日間、攻防が続いた。最後は夜襲を試みたが、雷雨と豪雨、雹が襲って兵は散り、攻めあぐねたセルジューク軍は包囲を解いて撤退した。もっとも、スィノプへ送った軍がセルジューク軍の逆襲で壊滅したともされ、この結果、帝国は黒海沿岸を領するだけの小さな王朝になったという。

のちにアンドロニコスは、セルジューク朝と戦うホラズム・シャーを支援したが、ホラズム・シャーの戦いは失敗に終わった。アンドロニコスは1235年に没した。

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