伝記
イドリース・マアムーンは、ムワッヒド朝の第9代カリフとされる。本名はアブー・アル=アラー・イドリースといい、第3代カリフのヤアクーブ・マンスールの子で、兄にムハンマド・ナースィルとアブドゥッラー・アーディルがいる。子に、アブドゥルワーヒド2世とアブル=ハサン・サイードがいる。生年はわからず、1232年10月16日か17日に没した。
1224年、カリフで甥のユースフ2世が早世して内乱が始まると、イドリースは初め兄のアーディルを支持した。同年3月にアーディルがムルシアでカリフを宣言したとき、イドリースはコルドバの総督で、のちにセビリアの統治を任された。同年、叔父のアブドゥルワーヒド1世が族長たちに暗殺され、アーディルがカリフになった。1227年に兄が、ムワッヒド朝の本拠地であるモロッコのマラケシュへ移ると、イドリースは、アンダルスのセビリアの代官として後を託された。しかしカスティーリャの侵略に苦しめられ、同年の9月に兄に背いて、マアムーンの称号を名乗った。カスティーリャ王フェルナンド3世にいくつかの砦を差し出し、30万マラベディの貢納金を支払って、休戦とキリスト教徒の傭兵部隊の募集を認められた。
その年の10月、兄アーディルが族長たちに暗殺され、彼らがカリフに立てた甥のヤフヤー・ムウタスィムを討つため、1228年にアンダルスで対立していたイブン・フードと和解して、マラケシュへ渡った。キリスト教徒の騎兵500騎を使ってムウタスィムを山地へ追いやったが、この部隊を使ったために、ムワッヒド朝の宗教的な威信を失った。1229年または1230年には、異端扱いされていたマーリク学派の歓心を得るため、ムワッヒド朝の根幹の思想であるタウヒードと、運動の指導者イブン・トゥーマルトの無謬性を否定した。アッバース朝のカリフをイマームと認め、マフディーの称号はイエスに当てはまると主張したともいう。これはムワッヒド朝の分裂を促し、1229年にはアブー・ザカリーヤー1世がチュニジアでハフス朝を興して独立し、モロッコでも部族の反乱が相次いだ。1230年には、マラケシュにキリスト教の教会の建設を許したが、2年後にムウタスィムに壊された。1232年、セウタを包囲しているあいだに、ムウタスィムにマラケシュを奪われ、これを取り返すための進軍の途中で急死した。
跡を継いだ息子のアブドゥルワーヒド2世は、ムウタスィムを討ち取った。しかし、マグリブでハフス朝、マリーン朝、ザイヤーン朝が勃興し、領土を縮めたムワッヒド朝は、これらとの争いに追われて、アンダルスにまで手が回らず、事実上撤退した。アンダルスはカスティーリャに平定され、ムワッヒド朝はマグリブで衰え、1269年にマリーン朝の侵攻で滅んだ。
同じ年に亡くなった人物
- Peire de Montagut (1232年)
- フォルケ・ドゥ・マルセイユ (1232年没)
- トルイ (1232年没)
- マイケル・スコット (占星術師) (1232年没)
- ルドルフ2世 (1232年没)
同じ地域に関係する人物
- ヤフヤー・ムウタスィム (1236年没)