HISTORICAL PERSON · 1232年没

イドリース・マアムーン

ムワッヒド朝カリフ。キリスト教徒傭兵を用いて甥を破ったが王朝の宗教的権威を失墜させ、内乱と分裂を招いた。

生涯
1232年没
死亡地
モロッコ王国(タドラ=アジラル地方 / モロッコ)
出生地
スペイン王国(マラガ)
出典
世界地図
モロッコ王国(タドラ=アジラル地方)

伝記

イドリース・マアムーンは、ムワッヒド朝の第9代カリフとされる。本名はアブー・アル=アラー・イドリースといい、第3代カリフのヤアクーブ・マンスールの子で、兄にムハンマド・ナースィルとアブドゥッラー・アーディルがいる。子に、アブドゥルワーヒド2世とアブル=ハサン・サイードがいる。生年はわからず、1232年10月16日か17日に没した。

1224年、カリフで甥のユースフ2世が早世して内乱が始まると、イドリースは初め兄のアーディルを支持した。同年3月にアーディルがムルシアでカリフを宣言したとき、イドリースはコルドバの総督で、のちにセビリアの統治を任された。同年、叔父のアブドゥルワーヒド1世が族長たちに暗殺され、アーディルがカリフになった。1227年に兄が、ムワッヒド朝の本拠地であるモロッコのマラケシュへ移ると、イドリースは、アンダルスのセビリアの代官として後を託された。しかしカスティーリャの侵略に苦しめられ、同年の9月に兄に背いて、マアムーンの称号を名乗った。カスティーリャ王フェルナンド3世にいくつかの砦を差し出し、30万マラベディの貢納金を支払って、休戦とキリスト教徒の傭兵部隊の募集を認められた。

その年の10月、兄アーディルが族長たちに暗殺され、彼らがカリフに立てた甥のヤフヤー・ムウタスィムを討つため、1228年にアンダルスで対立していたイブン・フードと和解して、マラケシュへ渡った。キリスト教徒の騎兵500騎を使ってムウタスィムを山地へ追いやったが、この部隊を使ったために、ムワッヒド朝の宗教的な威信を失った。1229年または1230年には、異端扱いされていたマーリク学派の歓心を得るため、ムワッヒド朝の根幹の思想であるタウヒードと、運動の指導者イブン・トゥーマルトの無謬性を否定した。アッバース朝のカリフをイマームと認め、マフディーの称号はイエスに当てはまると主張したともいう。これはムワッヒド朝の分裂を促し、1229年にはアブー・ザカリーヤー1世がチュニジアでハフス朝を興して独立し、モロッコでも部族の反乱が相次いだ。1230年には、マラケシュにキリスト教の教会の建設を許したが、2年後にムウタスィムに壊された。1232年、セウタを包囲しているあいだに、ムウタスィムにマラケシュを奪われ、これを取り返すための進軍の途中で急死した。

跡を継いだ息子のアブドゥルワーヒド2世は、ムウタスィムを討ち取った。しかし、マグリブでハフス朝、マリーン朝、ザイヤーン朝が勃興し、領土を縮めたムワッヒド朝は、これらとの争いに追われて、アンダルスにまで手が回らず、事実上撤退した。アンダルスはカスティーリャに平定され、ムワッヒド朝はマグリブで衰え、1269年にマリーン朝の侵攻で滅んだ。

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