HISTORICAL PERSON · 1911年没

ポール・ラファルグ

フランスの社会主義者で、マルクスの婿。賃金労働を批判した著作『怠ける権利』で知られる。

生涯
1911年没
死亡地
フランス共和国(エソンヌ県 / ドラヴェイユ)
出生地
キューバ(サンティアゴ・デ・クーバ)
出典
世界地図
フランス共和国(エソンヌ県)

伝記

ポール・ラファルグは、1842年1月15日、キューバのサンティアゴ・デ・クーバに生まれたフランスの社会主義者、批評家、ジャーナリストである。カール・マルクスの娘婿で、賃金労働の非人間性を批判した著作『怠ける権利』で知られる。コーヒー農園を営むフランス人の父と、クリオーリョの母のもとに生まれ、裕福な家庭に育った。一家は1851年に、父の出身地であるフランスのボルドーに移住した。ポールはトゥールーズのリセを卒業して、パリで薬学や医学を学んだ。パリで実証主義の哲学に触れ、ナポレオン3世の支配に反対する共和主義者のグループと接して、政治的な経歴を歩み始めた。

プルードンの影響を受けて第一インターナショナルに参加したが、まもなくマルクスやオーギュスト・ブランキを知り、無政府主義の傾向は薄れた。1865年にリエージュで開かれた国際学生会議に参加したため、フランスのすべての大学から閉め出され、ロンドンで職探しをすることになった。ロンドンではマルクスの家庭に頻繁に出入りし、1868年にはマルクスの次女ラウラと結婚した。第一インターナショナルのスペイン支部を任され、ジャーナリストとしてバクーニンらの影響力を落とすことにある程度成功した。パリ・コミューンが鎮圧されるとスペインに避難し、現地のインターナショナルの支持者と連絡を取りながら、マルクス主義の影響力を広げようとした。無政府主義との争いは、1930年代のスペイン内戦まで続くことになる。

1873年から1882年までロンドンに住み、フォトリソグラフィの店を開いたり、エンゲルスの援助を受けたりして生計を立てた。1880年から「平等」紙の編集を始めた。1882年にパリへ戻り、ジュール・ゲードとともにフランス労働党を指導して、ストライキや選挙活動で何度か投獄された。『怠ける権利』は、資本主義社会の賃金労働が、本来は創造的であるべき職業の尊厳を奪い、効率を至上とする過労を招くと指摘し、その抵抗権として、怠ける権利や週35時間労働、休暇の充実を主張した。この著作は1883年に改訂、再出版された。1891年には、投獄中であるにもかかわらず、リール選出のフランス国会議員となった。マルクス主義理論家としては、ジャン・ジョレスを含むあらゆる修正主義的な傾向や、「ブルジョア政府」との闘争を続けた。1908年のトゥールーズ会議で複数の社会主義勢力を一つにまとめようと試みたが、断念し、これを最後にすべての公的活動から引退した。

以後は、妻ラウラとドラヴェイユに住みながら、「リュマニテ」への寄稿など文筆活動に専念した。マルクスの娘婿ということもあり、カウツキーやブランティング、リープクネヒト、レーニンに至るまで、長老から若手、穏健から急進まで、さまざまな立場の人々から訪問を受け、尊敬された。1911年、70歳を目前にして、自邸でラウラとともに自殺し、遺書を残した。夫妻の死は、ヨーロッパの社会主義者に衝撃を与え、革命家たちには「労働者のために献身できなくなったときはこの世から去るべきだ」という教訓として受け止められた。レーニンは彼を、マルクス主義の思想の最も才能ある深い普及者の一人と評した。

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