HISTORICAL PERSON · 2007年没

ピエール=ジル・ド・ジェンヌ

フランスの物理学者。単純な系の秩序現象の研究手法が液晶や高分子にも一般化できることを発見し、1991年にノーベル物理学賞を受賞した。

生涯
2007年没
死亡地
フランス共和国(エソンヌ県 / オルセー)
出生地
フランス共和国(16区)
出典
世界地図
フランス共和国(エソンヌ県)

伝記

ピエール=ジル・ド・ジェンヌは、1932年10月24日にパリで生まれたフランスの物理学者である。父ロベール(1890年から1942年)は医師で、軍の制度のもとで医学を修め、第一次世界大戦では軍医を務めた。母イヴォンヌ・モラン=ポンは、リヨンの銀行家の家の出で、戦時中に看護師として前線に出て、野戦病院でロベールと出会った。母方の祖父を通じて、バーゼルの数学者ジャン・ベルヌーイの子孫にあたり、同じ系統にはピエール・キュリーもいる。幼いころは、肺の治療のためアルプ=ド=オート=プロヴァンスのバルスロネットで過ごし、11歳か12歳ごろまで、母の手による自宅学習を受けた。

13歳のとき、英語を上達させるためにブリストルに滞在した。そこで、母の友人の紹介で、素粒子物理学者ジュゼッペ・オッキアリーニに会い、暗い部屋で10メートルもある写真を見ていた彼から、それが粒子の飛跡だと教わった。これが科学への最初の手ほどきだったと、本人は後年語っている。帰国後はサン=ルイ高校で、生物学にも数学や物理と同じ重みを置く、あまり標準的でない準備課程を選んだ。1951年に首席でエコール・ノルマル・シュペリウールに合格し、イヴ・ロカールやアルフレッド・カストレルといった名高い物理学者に出会った。1953年にはレ・ズーシュの理論物理学の夏期学校に参加し、夜の暖炉の前でトランジスタの発明者ショックレーの話を聞いたことを、忘れなかった。1955年に教授資格試験に3位で合格して卒業し、フランス原子力庁サクレー研究所の研究技師となった。

アナトール・アブラガムやジャック・フリーデルの助言のもとで、中性子散乱と磁性を主に研究し、1957年に博士号を取った。磁性体のキュリー温度の近くで、低温で整っていた磁気モーメントが乱れていく仕組みを調べ、「パーコレーション」の概念を発展させて、顕微鏡的に違って見える現象が、巨視的には同じ振る舞いをする普遍性を見いだした。1959年から1961年にはカリフォルニア大学バークレー校でチャールズ・キッテルのグループに加わった。その間にフランス海軍にも在籍したとされる。1961年にオルセー大学の教員となり、超伝導研究のグループを立ち上げた。1968年には、研究の対象を液晶に変えた。

1971年にコレージュ・ド・フランスの教授となり、高分子の物理学で、ストラスブールやサクレーとの共同事業に加わった。1980年からは、濡れや接着の動力学など界面の問題にも関心を移した。1976年からはパリ市立工業物理化学高等専門学校の学長を務め、2002年に退いた。1991年、「単純な系の秩序現象を研究するために開発された手法が、より複雑な物質、とりわけ液晶や高分子にも一般化できることの発見」により、ノーベル物理学賞を受けた。1996年にはジャック・プロとともに、パリのキュリー研究所に物理化学部門を設け、亡くなるまでそこに籍を置いた。晩年は粉粒体や、脳の記憶の仕組みも研究していた。

1990年のウルフ賞をはじめ多くの賞を受け、王立協会の外国人会員にもなった。著書に『液晶の物理学』(1974年)、『高分子物理学のスケーリング概念』(1979年)があり、一般向けの『科学は冒険!』も日本で出版された。1994年の著書では、コンピューターの予測を必ず正しいと信じてしまう人の例として二酸化炭素による地球温暖化を挙げ、当時の温暖化の科学は未熟だとした。2007年5月18日、オルセーで亡くなった。

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