伝記
ネフェルネフェルウラーは、紀元前14世紀の古代エジプト第18王朝の王女である。名は「ラーの美しさは美しい」を意味する。王アクエンアテンと大王妃ネフェルティティの六人の娘のうち、五番目にあたる。生年は分からず、没年も紀元前1400年ごろとされるにとどまる。
生まれたのは、父の治世第8年か第9年ごろ、都アケトアテンでのことと考えられる。ただし誕生を治世10年ごろとみる研究者もおり、9年から10年とする見方もある。上には四人の姉がいて、メリトアテン、メケトアテン、アンクエスエンパアテン、ネフェルネフェルウアテン・タシェリトといい、妹にセテペンラーがいた。ラーの名を含む名は、この妹と二人だけで、アテンの名を含まない。これは、治世9年ごろにあったアテンの教義上の名の改革と関わるとされる。
最も早い姿は、アマルナの王の家の壁画に残る。姉のネフェルネフェルウアテン・タシェリトとともにクッションに座る姿で、治世9年ごろの作とされ、一家全員が描かれている。次は治世12年、各国の貢ぎ物を受ける儀式の場面である。役人メリラー2世の墓の浮彫では、アクエンアテンとネフェルティティが亭に座り、娘たちが後ろに立つ。ネフェルネフェルウラーは下段の中ほどにいて、右腕にガゼルを、左手に蓮の花を持ち、すぐ後ろでセテペンラーが手を伸ばしてガゼルをなでている。
死は治世13年か14年ごろで、当時エジプトを襲った疫病によるかもしれないといわれる。王墓の部屋の壁には五人の王女の名が刻まれていたが、彼女の名は漆喰で塗りつぶされ、王女も四人しか描かれていない。また、次女メケトアテンの死を悼む場面にも彼女は見えない。そのため、王墓の装飾が終わる少し前に亡くなったとみられ、王墓の部屋に葬られた可能性がある。一方、アマルナの墓29号に葬られたとする説もある。この説は、彼女の「内側の埋葬室」を記した壺の取っ手に基づく。もしそうなら、王墓はすでに閉じられており、彼女は父の死後に亡くなった可能性もある。
ツタンカーメンの財宝の中からは、彼女の姿を描いた小さな箱の蓋が見つかった。指を口に当ててうずくまる姿は、ごく幼い子どもによく用いられた表現である。蓋では、名に含まれるラーの文字が、通常の円の中に点を置く記号ではなく、音を表す文字で書かれている。
同じ年に亡くなった人物
- シュッタルナ3世 (紀元前 1400年(推定))
- メリトアテン (紀元前 1400年(推定))
- カダシュマン・エンリル1世 (紀元前1400)
- アッシュル・ベル・ニシェシュ (紀元前 1400年(推定))
- テイ (紀元前1400)