HISTORICAL PERSON · 紀元前1400没

テイ

第18王朝末期のファラオ、アイの大王妃で、ネフェルティティの乳母でもあった。夫はツタンカーメンの死後に即位した。アマルナの夫の未使用の墓に目立つ姿で描かれ、ネフェルティティの継母とする説もある。

生涯
紀元前1400没
死亡地
エジプト・アラブ共和国(ケナ県 / テーベ)
出生地
—
出典
世界地図
エジプト・アラブ共和国(ケナ県)

伝記

テイは、古代エジプト第18王朝の末から2番目のファラオ、ケペルケペルウラー・アイの大王妃である。ネフェルティティの乳母でもあった。

夫のアイは、アメンホテプ3世、アクエンアテン、ツタンカーメンの宮廷で重要な行政上の役目を果たし、ツタンカーメンの死後、王家の男系が絶えたために王位に就いた。王家とつながりがあるとされ、おそらくアメンホテプ3世の妃ティイの兄弟だったと見られている。研究者の中には、彼がネフェルティティの父だったかもしれないと考える者もいる。アマルナの碑文でテイは「大王妃の乳母」と呼ばれる。このためアイの2番目の妻で、ネフェルティティの継母だったという説がある。アイとテイは、ネフェルティティの父とも母とも明記されない。テイがアイの唯一の妻なら、どちらも親ではなかったことになる。もし両親であったなら、ムトベンレトはおそらく2人の娘で、アイが後継者に考えていたナクトミンも2人の息子だったかもしれない。また、ブルックリン美術館の像には、アメン神の第二預言者でムトの大司祭、王妃テイの家令であるアイという高官が見える。両親はナクトミンとムトエムヌブで、後者は王妃テイの姉妹とされており、テイにはこの姉妹と義兄弟がいた可能性がある。スペイン語圏では、彼女には少なくとも2人の子、ナクトミンとホルエムヘブに嫁いだムトネジメトがいたともいわれ、没年は分かっていない。

アマルナには、アイが行政官としてアクエンアテンに仕えていたころに用意した、使われなかった墓がある。その装飾でテイが目立つのは異例だが、大王妃(ネフェルティティ)の乳母・養育係であり、「王の装身具」の称号を持つ立場からすれば当然とされる。北壁東側には褒賞の場面があり、アイとテイが「出御の窓」の前に立つ。アクエンアテンはケプレシュ冠、ネフェルティティは3匹のコブラで飾った有名な青い冠をかぶり、メリトアテン、メケトアテン、アンケセンパアテンの3人の王女も窓に姿を見せる。年長の2人の王女が2人に褒美を投げ与えているようで、アンケセンパアテンはネフェルティティの前のクッションの上に立ち、母の顎を撫でている。金の栄誉は軍人や高官に公開で与えられる高い栄誉で、テイはそれを受けた最初の女性だったとされる。

ツタンカーメンの死後、アイが王位に就くと、テイは大王妃となった。アイは高齢のため、王位にあったのは4年ほどだったとされる。その間もテイは存命だったと考えられる。称号には世襲王女、称賛に満ちた者、二国の女主人、大王の妻・彼に愛される者、上下エジプトの女主人などがある。アイは正統性のため、ツタンカーメンの未亡人アンケセンアメンと結婚したともいわれ、その時期のテイの消息は分かっていない。しかし、アイが王となった後の墓WV23にはテイが記され、アンケセンアメンは記されていない。

王の谷の墓WV23には、アイが沼でパピルスを摘む場面でその後ろにテイが描かれるが、損傷が激しい。テイは夫とともにここに葬られたかもしれず、墓から見つかった女性の人骨の断片が彼女のものである可能性がある。アクミームのミン神の岩窟礼拝堂にも姿が表されている。書記・騎兵長官・神の父アイのために刻まれた木箱には、「大王妃、家の女主人テイに高く評価される者」という趣旨の文がある。アクミームの巨像は彼女を模して彫られたらしいが、のちにラムセス2世の娘で妻でもあるメリトアメンのために刻み直された。

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