伝記
ギルキパは、紀元前14世紀前半に生きたミタンニの王女で、エジプト王アメンホテプ3世に嫁いだ人物である。フルリ語ではキル・ヘパに近い形で呼ばれ、エジプト語ではキルギパと記されたとされる。父はミタンニ王シュタルナ2世で、のちに王となるトゥシュラッタ、ビリア・ワザ、アルタシュマラの姉妹にあたる。生年は分からず、没年も紀元前1400年ごろとされるにとどまる。
ミタンニは北メソポタミアに栄えた国であったが、シリアへのエジプトの進出や、台頭するヒッタイト、繁栄するバビロニアに挟まれて、安定を脅かされていた。シュタルナ2世は即位すると、最も危険とみなした大国エジプトとの友好を選んだという。その関係を婚姻同盟にまで進めたのが、子のトゥシュラッタの代であり、王女ギルキパがエジプトの後宮に送られることになった。
トゥシュラッタがのちにアメンホテプ3世の子へ送った書簡には、この縁組の経緯が記されている。それによれば、以前の縁組でもミタンニ王は七度目の要請でようやく娘を差し出し、シュタルナ2世もギルキパについて七度目の要請でやっと承諾したという。ただし、七度の要請を伝える書簡は見つかっておらず、トゥシュラッタが自分を引き立てるために脚色した可能性も指摘されている。
結婚はアメンホテプ3世の治世第10年、紀元前1378年から1376年ごろのこととされる。王は記念のスカラベを作らせ、王女が317人の侍女を伴って来たことを刻ませた。この記念スカラベの一つはベルリンの博物館に所蔵されている。一行にはほかに多数の家畜や護衛の軍勢、使節も加わり、旅には二か月半ほどかかったと推定される。当時の王は18歳ほど、王女は十代前半だったかもしれないという。
ギルキパは「王の妻」となったが、大王妃ティイに次ぐ地位にとどまった。子は知られておらず、墓も見つかっていない。のちの記録にはトゥシュラッタの書簡に現れるだけで、兄は彼女にミタンニの品々を贈ったが、年月とともに妹に触れることは減り、話題は姪タドゥヘパの輿入れへ移っていった。王の長子トトメスを彼女の子とみる説もあるが、確かではない。タドゥヘパが来る前に亡くなったとも、エジプト名を名乗って史料から姿を消したともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- アルタタマ2世 (紀元前 1400年(推定))
- イウヤ (紀元前1400)
- メリトアテン (紀元前 1400年(推定))
- ムテムウィヤ (紀元前 1400年(推定))
- ネフェルネフェルウアテン (紀元前 1400年(推定))
同じ地域に関係する人物
- Meretseger (紀元前1800)
- Theodosius I of Alexandria (567年没)
- アンティオキアのセウェロス (538年没)
- アル=ムスタンスィル・ビッラー (1094年没)
- Nebettawy (紀元前1250)