伝記
チェーザレ・ロンブローゾは、1835年11月6日、北イタリアのヴェローナのユダヤ人の家庭に生まれた精神科医で、犯罪生物学の祖型となった生来性犯罪者説を唱えた。幼時から天才と名高く、2歳でギリシア語とラテン語で会話し、14歳で『ローマの盛衰』を著したと伝えられる。18歳で医学を志し、パドヴァ大学、ウィーン大学、パリ大学で学んだ。1859年にイタリア統一戦争に軍医として従軍し、1863年から1872年までパヴィア、ペーザロ、レッジョ・エミリアの精神病院の院長を歴任した。パヴィア大学教授を経て、1876年にトリノ大学の法医学・衛生学の教授となり、トリノの監獄で囚人の研究を始めた。1906年に同大学の犯罪人類学の教授に就いた。1870年4月にニナ・デ・ベネデッティと結婚し、娘ジーナを含む5人の子をもうけた。ノーベル賞を受けたカミッロ・ゴルジの指導教官でもある。研究は幅広く、内分泌異常やビタミン欠乏症、天才と狂気の関係を調べる病跡学、筆跡学、催眠や心霊現象にも及んだ。初期には忠実な唯物論者だったが、晩年は心霊主義に関心を持ち、心霊現象を事実と認めるようになった。
最も有名な研究は、1876年に出版した『犯罪人』である。全3巻、約1,900ページの大著で、犯罪に及ぼす遺伝的要素の影響を指摘した。モレルの「変質」概念を犯罪研究に導入したもので、ガルの骨相学を継承し、ケトレーの犯罪統計学やダーウィンの進化論の強い影響を受けていた。以前から『天才と狂気』(1864年)など天才についての研究を行っていたが、山賊ヴィレラの検視で、頭蓋骨に下等な脊椎動物に似た特徴を見いだしたとき、犯罪者の性質の問題の解決が突然ひらめいたと述べた。犯罪者は原始的な人類や下等動物の残忍な本性を身体に再現した隔世遺伝の産物だという発想で、彼はそれを「啓示」と呼んだ。処刑された囚人の遺体を解剖し、383個の頭蓋骨を観察し、5907人の体格を調べて、犯罪者には一定の身体的・精神的特徴があるとの結論に至った。大きな顎や高い頬骨、取っ手のような耳など、身体的特徴を18項目挙げた。犯罪者の約3分の1は生来の素質のために犯罪者となる人類の一変種だと主張し、道義的な処罰は誤りだが、危険なため国家が対策を講じる必要があると説いた。ほかの犯罪者は更生できるとして死刑に反対した。
この説は発表当初から批判が多かった。ロンブローゾ、フェリ、ガロファロらを中心とするイタリア学派と、環境因子を重視したタルドらのフランス学派が、国際犯罪人類学会を舞台に激しく論争した。ロンブローゾ自身も1906年の最後の著書『犯罪、原因と治療』では、環境要因を大幅に書き加えている。1913年にゴーリングが、精密な測定でも犯罪者とそうでない者の間に有意な差はなかったと発表するなど、批判が相次ぎ、生来性犯罪者説は退潮した。現在は科学的根拠がなく人種差別的な疑似科学として退けられている。一方、目に見えるデータを集めて客観的な方法で調べる実証主義の手法を刑法学に導入した業績を高く評価する向きもある。1888年の『天才論』は、芸術的天才を遺伝性の狂気の一形態と論じ、「天才と狂人は紙一重」という見方を広めた。1909年10月19日、トリノで死去した。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・ミリントン・シング (1909年没)
- アレクサンドル・シャルパンティエ (1909年没)
- 伊藤博文 (1909年没)
- ヘンリエッタ・ロナー=クニップ (1909年没)
- ファニー・チェッリート (1909年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジュゼッペ・ペアノ (1932年没)
- マンマ・マルゲリータ (1856年没)
- ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ (1842年没)
- シルヴィオ・ペッリコ (1856年没)