伝記
ムトネジメトは、古代エジプト第18王朝の最後の王ホルエムヘブの大王妃である。名は「甘美なるムト」あるいは「ムトは甘美である」を意味し、ムトノジメトなどとも綴られる。ホルエムヘブの2番目の妻で、最初の妻アメニアは、彼が王となる前に亡くなっていた。彼女の称号には、世襲王女、大王の妻、称賛に満ちた者、魅力の女主人、愛の甘美な者、上下エジプトの女主人、ハトホルの歌い手、アメンの歌い手などがあり、王妃としての高い地位がうかがえる。
一部のエジプト学者は、彼女をネフェルティティの妹ムトベンレトと同一人物と推測してきた。名の読みには議論があるが、「ネジェム」と「ベネル」の記号の使い分けは曖昧で、セティ1世の妃タノジメの名では、補助的な表記によって「ネジェム」と読むことが確かめられている。このため、ムトネジメトとムトベンレトの名の違いだけでは別人とは言い切れない。ただし、2人が同一かどうかは、どちらとも証明できない。ジェフリー・マーティンは、ムトノジメトという名は第18王朝末期に珍しくなく、たとえネフェルティティの妹でも王家の血筋ではないため、ホルエムヘブの王位の正統性には影響しなかっただろうと述べる。エイダン・ドッドソンらは、ネフェルティティが女王ネフェルネフェルウアテンになったと考える。その場合、妹が妻であれば、ホルエムヘブは先代の君主とより強く結ばれたことになる。また、ネフェルティティと妹が、ホルエムヘブの直前の王アイの娘だった可能性もあり、そうであればホルエムヘブは義父の後を継いだことになる。ただ、証拠が乏しく確実なことは言えない。
彼女を伝える遺物や碑文はいくつかある。トリノのエジプト博物館にあるホルエムヘブとの双像はカルナックで見つかり、彼女の側の玉座には、自らの王名枠を拝む有翼のスフィンクスとして表されている。ドラ・アブ・エル=ナガのロイの墓には、供物の場面に夫妻が描かれる。カルナック第10塔門の北側の巨像の1体は、ホルエムヘブと彼女を表して作られたが、のちにラムセス2世とネフェルタリのために作り替えられた。一方、彼女自身もルクソールで、アンケセナーメンの碑文をいくつか奪って用いた。サッカラのホルエムヘブの墓からも、彼女の名を記した像の破片やアラバスターの断片が見つかり、葬祭文を持つものもある。
彼女は夫の治世第13年の直後、40代半ばで亡くなった。ホルエムヘブのサッカラの墓の埋葬室で見つかったワインの壺の札と、そこにあった彼女の像などからそう判断される。ひどく傷んだ、おそらく彼女のミイラが、使われなかったメンフィスの墓から、胎児あるいは新生児の骨とともに見つかった。最初の妻アメニアと並んで葬られたらしく、出産や妊娠中に亡くなったのではないかと考えられている。ミイラからは何度も出産したことが分かるが、ホルエムヘブは生きた後継者を残さなかった。記念碑に記されない娘がいた可能性も指摘されている。王妃の壺は、現在大英博物館にある。
王家の谷の王妃の谷にある墓QV33は、セティ1世の妃タノジメの墓だが、王名枠の読み違いから彼女の墓ではないかと考えられたことがあり、この誤った説は放棄された。20世紀の1920年代には画家ウィニフレッド・ブラントンが彼女の肖像を描き、ミシェル・モランの小説『ネフェルティティ』では、姉ネフェルティティの妹として主人公を務めている。
同じ年に亡くなった人物
- ブルナ・ブリアシュ2世 (紀元前1400)
- アルヌワンダ2世 (紀元前 1400年(推定))
- アイ (第18王朝のファラオ) (紀元前 1400年(推定))
- アルタタマ2世 (紀元前 1400年(推定))
- アッシュル・リム・ニシェシュ (紀元前 1400年(推定))
同じ地域に関係する人物
- マンスール・アブー=バクル (1341年没)
- 大アントニオス (356年没)
- ラムセス5世 (紀元前1153)
- アルシノエ1世 (紀元前240年代没)
- テイ (紀元前1400)