伝記
ジェルベルジュ・ド・プロヴァンスは、11世紀末から12世紀初めにかけてプロヴァンスの伯領を治めた女性である。生年は1060年ごろとされるが、1078年から1084年ごろとする説もあり、出自にも不明な点がある。伝統的にはプロヴァンス伯ジョフロワ1世とエティエンネットの娘とされてきた。ただし、この親子関係は確定していない。プロヴァンスは現在のフランス南東部に位置する地域だが、当時はまだフランス王国の一部ではなかった。
ジェルベルジュはジョフロワの直後に伯位を継いだわけではなく、その間には別の親族が伯となっていた。自身の継承の時期は、1093年以後、1100年以前とされる。プロヴァンスの伯領は複数の家系による共同保有の状態にあり、ジェルベルジュもその一部を受け継いだ。ジェヴォーダン伯ジルベール1世と結婚し、ドゥースとエティエンネットという娘をもうけた。夫婦はともに高潔な者とみなされ、ジルベールは十字軍に参加して、中東から持ち帰った数々の聖遺物をプロヴァンスの教会へ寄進したと伝えられる。
1105年ごろ、プロヴァンスの伯領はトゥールーズ家、フォルカルキエのアデライード、ジェルベルジュの間で分けられた。ジルベールは1107年から1110年にかけてアヴィニョンに滞在し、ジェルベルジュも夫が同地で裁きを行う場に並んだ。夫の死は1108年とされる一方、1111年ごろともいわれる。その最期については、プロヴァンスの旧来の貴族に殺害されたとも伝えられている。夫を失ったジェルベルジュは自ら支配を担い、賢明に統治したとされる。
1112年、長女ドゥースはバルセロナ伯ラモン・バランゲー3世と結婚した。ジェルベルジュはこの結婚に際して権利を娘へ譲り、プロヴァンスにはバルセロナ家の支配が入った。一方、次女エティエンネットはレーモン・デ・ボーと結婚した。ジェルベルジュは1115年に没したとされるが、正確な没年は明らかでない。後にエティエンネットの側も伯領への権利を主張し、1144年にはブサンク戦争と呼ばれる争いが起きることになった。
同じ年に亡くなった人物
- 隠者ピエール (1115年没)
- オーラヴ・マグヌソン (1115年没)
- マティルデ・ディ・カノッサ (1115年没)
- オレグ・スヴャトスラヴィチ (チェルニゴフ公) (1115年没)
- ティエリー2世 (ロレーヌ公) (1115年没)
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