HISTORICAL PERSON · 1115年没

オーラヴ・マグヌソン

ノルウェー王。2人の異母兄と共同統治したが若年のため実権は兄たちが握り、12年間在位しながら国民にほとんど印象を残さなかった。

生涯
1115年没
死亡地
ノルウェー王国(ソール・トロンデラーグ県 / トロンハイム)
出生地
—
出典
世界地図
ノルウェー王国(ソール・トロンデラーグ県)

伝記

オーラヴ・マグヌソンは、1099年ごろに生まれたノルウェーの王族である。父は裸足王と呼ばれたマグヌス3世、母はサクセ・イ・ヴィクの娘シグリッドであった。父にはスウェーデン王女マルガレーテとの結婚による子はなく、別々の母から生まれたエイステイン、シグル、オーラヴの3人の息子がいた。いずれも側室との間に生まれた子であった。オーラヴはその末子で、兄たちと同じ王位継承の権利を持つと認められていた。

1103年8月、マグヌス3世はアルスターでアイルランド人との戦闘中に死去した。父の死を受けて、3人の息子はノルウェーを分け、共同で王位についた。エイステイン1世は15歳で北部を、シグル1世は14歳で南部を治めた。オーラヴはまだ4歳ほどであり、自分に割り当てられた領域を直接統治することはできなかった。このため、異母兄の2人が共同でその領域の摂政を務めることになった。王の地位は得たが、実際の政務は年長の兄たちに委ねられたのである。

1107年、シグル1世はノルウェーから十字軍を率いて出発した。この遠征は、十字軍によって新たに建てられたエルサレム王国を支援するためのものであった。シグルが国を離れている間は、エイステイン1世が弟の摂政を務め、国の統治に当たった。エイステインは実行力と強い意志をもって、王国の安定を図ったとされる。シグルは1111年にノルウェーへ帰還した。オーラヴ自身は背が高く容姿が整い、陽気で親しみやすく、臣民に好かれた王だったと伝えられている。

1115年12月、オーラヴは病にかかり、同月22日に死去した。年齢は16歳、または17歳とされる。その政治的な影響は小さく、兄たちのような長く残る印象を国に与えるには至らなかった。王位にあった期間は12年で、死後は共同統治者だったエイステインとシグルがその統治を引き継いだ。オーラヴの名に付す王の番号には揺れがあり、後には同名の歴代王の通し番号に数えられなくなった。1957年にオーラヴ5世が即位した際にも、マグヌソンを数えない番号が用いられた。

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