伝記
ラシは、中世フランスのユダヤ教のラビであり、聖書とタルムードの注解者である。本名はシュローモー・イツハーキー。ラシという呼び名は「ラビ・シュローモー・イツハーキー」の頭文字を取った略称で、姓のイツハーキーは父の名イツハクに由来する。古い文献ではヤルヒと呼ばれることもあったが、これは略称の解釈を誤ったものだと、十九世紀のツンツが示した。1040年、フランス北部シャンパーニュ地方のトロワに一人っ子として生まれた。母の兄弟にはマインツのラビであったシメオン・バル・イツハクがおり、この人物は高名な学者ゲルショム・ベン・ユダの弟子であった。父方の祖先については、ダビデ王の血筋につながる名家の三十三代目の子孫だとする説が後世に伝わるが、ラシ自身は膨大な著作のなかでそのような主張を一切しておらず、初期のラビ文献にも根拠は見当たらない。
伝承によれば、五歳のシャヴオット祭の日に父に連れられてトーラーの学びを始め、父が早く亡くなるまでは主に父から教えを受けた。十七歳のころに結婚し、その後まもなくドイツのウォルムスにあるヤアコブ・ベン・ヤカルのイェシーバーに学んだ。祭日ごとに年に三度、妻のもとへ戻る暮らしだったという。ヤアコブが1064年に没したのちも、親族でウォルムスの首席ラビであったイツハク・ベン・エリエゼル・ハレビのもとでさらに一年学び、続いてマインツに移って、やはり親族であるイツハク・ベン・ユダのもとで学んだ。三人の娘をもうけたとされる。
二十五歳のころトロワへ戻ると、ラビ法廷の一員に加わり、ハラーハーに関する質問に答えるようになった。のちにツェラフ・ベン・アブラハムの没後は、その法廷の長を務めたとされる。1070年には弟子たちを集めてイェシーバーを開き、トロワはユダヤ教研究の重要な拠点となった。1096年には第一回十字軍による襲撃に衝撃を受けた。
ラシは聖書の文言の基本的な意味を簡潔かつ明快に示す注解で知られ、学識ある人にも初学者にも受け入れられた。タルムードの注解はバビロニア・タルムードのほぼ全体に及び、1520年代にダニエル・ボンベルクが初めて印刷して以来、あらゆる版に収められている。モーセ五書の注解は、その用語選びや引用を分析する三百以上の補注書のもとになった。その注解は後年、数多くのトサフィストを生み出し、中世以降のラビ文学の多くがラシの説を根拠に引いたり、反論したりしている。
その名声は、のちに数々の伝説も生んだ。子のなかった父が宝石を海に投げ捨てて神の声を聞いたという話や、身重の母が迫る馬車を避けると壁が開いたという話などである。貧しい葡萄酒造りだったとされる父イツハクは、偶像を飾るために宝石を買いたいという異教徒の求めに応じて同行したが、道中で宝石を海に捨てた、その報いとして「トーラーの知識で世界を照らす立派な子」が授かると告げられたという筋書きである。後者の奇跡の凹みは、ウォルムスのシナゴーグの壁に今も見えるとされる。ハシディズムの文献には、これほどの業績は人間の力では成しえず聖霊の導きによるものだとして、ラシは自然な死を迎えず、預言者エリヤのように生きたまま天に昇ったとまで述べるものもある。1105年7月13日、故郷トロワで没した。
同じ年に亡くなった人物
- マリク・シャー2世 (1105年没)
- 粛宗 (高麗王) (1105年没)
- インゲ1世 (スウェーデン王) (1105年)
- ユーディト・フォン・シュヴァーベン (1105年)
- レーモン4世 (トゥールーズ伯) (1105年没)
同じ地域に関係する人物
- ティボー3世 (シャンパーニュ伯) (1201年没)
- アンリ1世 (シャンパーニュ伯) (1181年没)
- クレルヴォーのベルナルドゥス (1153年没)
- 聖マラキ (1148年没)
- アルジャントゥイユのエロイーズ (1162年没)