伝記
アイは、古代エジプト第18王朝の第14代ファラオである。生年は不詳で、在位は紀元前1323年ごろから紀元前1319年ごろ(紀元前1327年から1323年とする説もある)とされ、第18王朝の終わりに近い王にあたる。即位名はケペルケペルウラーで、「ラーの現れは永遠なり」の意である。王名のアイ・イトネチェルは「神の父アイ」と読める。治世が短く、後継のホルエムヘブがアマルナ時代に関わる王たちの記録を消し去ったため、アイに確実に結びつく記録や記念物は少ない。
出身はアクミムとみられ、治世中にはこの地に岩を掘った礼拝堂を築いて、地元の神ミンに捧げた。両親は神官のイウヤとチュウヤとされ、そうならばアメンホテプ3世の正妃ティイの兄にあたり、兄妹ともミタンニにルーツを持つともいう。この説は、イウヤもアイもアクミムの出で、ともに「神の父」や「馬の長」の称号を持ったことに基づく。イウヤのミイラとアイの彫像が強く似ているとも指摘されるが、アイのミイラは見つかっておらず、状況証拠にとどまる。アイの大王妃はテイで、庶民の生まれだが「大王妃の乳母」の称号を持った。ネフェルティティの父をアイとする説は、「神の父」が王妃の父を指す称号だという解釈によるが、アイとテイを彼女の両親と明記した記録はない。
経歴の確かなところは、アクエンアテンの治世にアマルナで自分の墓の造営を許されたときには、軍の戦車部隊で将軍の一つ下にあたる「王の馬の総監」の称号に達していたことである。それ以前は部隊長、ついで通常の馬の長だったらしい。墓には「王の右側の扇持ち」「王の書記代理」「神の父」などの称号も記され、王の耳に近い立場にあったことがうかがえる。この墓には「アテン大賛歌」も刻まれており、アイはアテン信仰に従っていたようである。「ムト」で始まる名の女性が王妃の姉妹の称号を持ち、これをアイとテイの娘とみる見方もある。ホルエムヘブの妻の名はムトノジメトである。後継に選んだナクトミンはアイの息子か孫とみられ、その母イウイはアクミムでミンとイシスに仕えた女神官で、アイの最初の妻だった可能性がある。アイは少なくともアクエンアテンとツタンカーメンに宰相として仕えたとされ、間の王たちに仕えたかどうかは確証がない。
ツタンカーメンの時代にはアメン大神官の地位にあり、宰相として大きな影響力を持ったとされる。ツタンカーメンの死後、アイは紀元前1327年ごろ(または紀元前1324年ごろ)に王妃アンケセナーメンと結婚して王位を継いだとされる。それ以前の妻テイはこのときすでに亡くなっていた。ツタンカーメンを暗殺したという後世の悪評もあるが、少年王の背後で実権を握ったという説に、その若さ以外の証拠はない。ツタンカーメン時代にアメン信仰を復活させたのは彼の功績だとされる。
高齢のためか、在位は約4年にとどまった。子がなかったので、同郷の貴族で軍司令官のナクトミンを後継者に指名していたが、王女ムトノメジットと結婚していた将軍ホルエムヘブがナクトミンを打倒して王位を継いだとされる。ホルエムヘブはアクエンアテン以降の四代の王の存在を抹殺し、アイの名も消えた。これは、ホルエムヘブが一度アイによって失脚させられた報復だと考えられている。アイは王家の谷のKV23に葬られた。漫画『陰陽師』第13巻ではツタンカーメンを殺す人物として描かれ、里中満智子の『アトンの娘』では、権力欲のない老人として描かれる。
同じ年に亡くなった人物
- イウヤ (紀元前1400)
- アメンホテプ2世 (紀元前 1400年)
- ブルナ・ブリアシュ2世 (紀元前1400)
- アメプホテプ、ハプの息子 (紀元前1400)
- トトメス4世 (紀元前 1400年(推定))
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