伝記
エレオノール・ド・ノルマンディーは、ノルマンディー公家に生まれ、フランドル伯ボードゥアン4世の妃となった女性である。1011年から1013年の間にノルマンディーで生まれたとされ、父はノルマンディー公リシャール2世、母はジュディット・ド・ブルターニュであった。父方の祖父母はリシャール1世とグノール、母方の祖父母はブルターニュ公でレンヌ伯でもあったコナン1世とエルマンガルド・ダンジューである。一般にはエレオノールの名で知られるが、実際の名であったかは確かでない。同じ父母のもとにはほかに姉妹2人と兄弟3人がおり、父を継いで公となるリシャール3世、その後継者ロベール1世もこの家族に属した。ロベール1世の息子が、のちのイングランド王ウィリアム1世である。
1017年、まだ幼い頃に母ジュディットを失った。父はパピア・ダンヴェルムと再婚し、さらに2人の息子をもうけている。エレオノールがボードゥアン4世と結婚したのは1030年とも1031年ともいわれる。夫は約30歳年長であり、この婚姻は夫にとって再婚であった。ボードゥアン4世はアルヌール2世とロザーラ・ディヴレーアの息子で、母ロザーラは最初の夫の死後、フランス王ロベール2世の最初の妃となった女性でもある。伯にはすでに先妻オトギファ・フォン・ルクセンブルクとの間に息子ボードゥアンがあり、この息子が伯位の継承者であった。エレオノールは婚姻によってフランドル伯妃となり、1033年に娘ジュディットを産んだ。夫婦の間に生まれた子はこの娘だけである。
ボードゥアン4世は娘の誕生から2年後、1035年に死去した。ジュディットはのちにイングランド王ハロルドの兄弟であるノーサンブリア伯トスティ・ゴドウィンソンと結婚し、その死後にはバイエルン公ヴェルフ1世の妻となった。後の結婚ではヴェルフ2世、ハインリヒ9世、クニツァという子をもうけ、息子たちは順にバイエルン公位を継いだ。エレオノール自身は夫より長く生き、フランドルで生涯を終えた。没年は1071年、あるいはそれ以後とされ、正確な時期は明らかでない。
同じ年に亡くなった人物
- ヌノ2世メンデス (1071年没)
- イブン・アブドゥルバッル (1071年没)
- ウィリアム・フィッツオズバーン (初代ヘレフォード伯) (1071年)
- アルモディス・ド・ラ・マルシュ (1071年没)
- ハティーブ・バグダーディー (1071年没)
同じ地域に関係する人物
- フォード・マドックス・フォード (1939年没)
- マティルダ・オブ・フランダース (1083年没)
- ロロ (933年没)
- ウァース (1180年代没)
- ジョルジュ・エベル (1957年没)