伝記
ゼノドトスは、エフェソス出身のギリシアの文法学者・文芸批評家で、ホメロスの研究者であり、アレクサンドリア図書館の初代館長とされる人物である。コス島のピリタスの弟子で、最初の二人のプトレマイオス王の時代に生き、紀元前280年ごろに名声の頂点にあった。
アレクサンドリアでは、ピリタスの跡を継いで、プトレマイオス1世ソテルの子プトレマイオス2世フィラデルフォスの家庭教師になったとされる。王女アルシノエの教師でもあったかもしれないが、いつピリタスに代わったのかは不明である。図書館長への就任は、プトレマイオス1世の求めで紀元前285年ごろともいわれ、紀元前284年にプトレマイオスの宮廷が初代館長と王子たちの公式の教師に任じたともいわれる。プトレマイオス1世の死後は、その子プトレマイオス2世が彼をアレクサンドリアの図書館の長とし、彼はその称号を死まで保ったとされる。ただし、初代館長とする根拠はオクシュリンコスのパピルスとヨハンネス・ツェツェスの文章だけで乏しく、歴史家ハリスは、プトレマイオス1世のもとで図書館の整備に関わったファレロンのデメトリオスが先にいたと考えている。ハリスによれば、プトレマイオス2世が即位した紀元前284年以降に、王の寵を失って投獄されたデメトリオスに代わってゼノドトスが館長になったという。同僚の司書にはアイトリアのアレクサンドロスとカルキスのリュコプロンがいて、それぞれ悲劇作家と喜劇作家の分担を受け持ち、ホメロスをはじめとする叙事詩人はゼノドトスに割り当てられた。
ゼノドトスは、蔵書を主題によって部屋に分け、詩か散文か、文学か科学かを区別し、さらに細かく分類する方法を導入したとされる。各分類の中では、著者名の最初の文字による順序で作品を並べ、アルファベット順の原則を導入したのも彼だという。受け入れの際に、巻物の端に著者名などを記した小さな札が付けられたが、題名が欠けていることが多く、一つの巻物に複数の作品が入っていることもあった。題名がないときは、ゼノドトスが巻物を開いて中身に目を通さなければならなかった。この札のおかげで、巻物を分類された場所へ簡単に戻すことができ、利用者がいちいち巻物を開かずに中身を知ることができた。これは記録に残る最初のメタデータの使用で、図書館史上の画期とされる。後継者のカリマコスは、ゼノドトスの整理の上に目録『ピナケス』を作ったと考えられている。
学問上の最大の仕事はホメロスの校訂である。プトレマイオス2世が古典ギリシアの文献の再整理を望み、ゼノドトスらに文献の編集と訂正を命じたのだという。ゼノドトスは図書館にあった複数の写本を突き合わせ、疑わしい詩行を削除するか印をつけ、行を入れ替えたり改めたりし、新しい読みを取り入れた。疑わしい行には、オベロスという印をつけて示した。ただ、なぜそう改めたのかを説明することはなかった。恣意的でギリシア語の知識が足りないという非難を受けてもいるが、その校訂本は後世の批評の確かな土台を築いたと評価される。『イリアス』と『オデュッセイア』をそれぞれ24巻に分けたのも、おそらく彼であるとされる。
ホメロスの正規の注釈書は書かなかったらしいが、珍しい語を集めた『語彙集』が、後の文法家たちがゼノドトスのものとした解釈の源になったとみられる。ヘシオドス、アナクレオン、ピンダロスについても講義したとされ、スーダ辞典は彼を叙事詩人とも呼び、『ギリシア詞華集』には彼の作とされる三つの短詩が収められている。没年は紀元前260年ごろ、あるいは紀元前259年とされる。
同じ年に亡くなった人物
- ティマイオス (紀元前259)
- メニッポス (紀元前 259年)
- オロンテス3世 (紀元前259)
- テオクリトス (紀元前 259年)
- タレントゥムのレオニダス (紀元前 259年)
同じ地域に関係する人物
- Diphilus of Sinope (紀元前400)
- Muhsin Ertugrul (1979年没)
- ルヒ・サルアルプ (2001年没)
- スミュルナのテオン (135年没)
- テオドティオーン (250年没)