伝記
ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールは、1786年8月31日に生まれ、1889年4月9日に没した、フランスの著名な化学者である。広範な研究は、科学や医学のみならず、芸術の発展にも大きな貢献を果たした。フランス西部のアンジェの医家の血筋に生まれ、17歳ごろにパリへ赴いて、ルイ=ニコラ・ヴォークランの化学研究所に入った。才能を見込まれて、パリ植物園に併設された国立自然史博物館で、ヴォークランの助手として研究に従事した。1813年にはリセ・シャルルマーニュの化学教授に就き、教育者としての道を歩み始めた。そのかたわら、ゴブラン織工場の名誉工場長として、染色の研究にも情熱を注いだ。1826年にフランス科学アカデミーの会員、およびイギリス王立協会の外国人会員に選ばれ、1857年にはコプリ・メダルを、1873年にはアルバート・メダルを受けている。1830年には師の後を継いで、国立自然史博物館の化学教授となり、長く教壇に立った。
業績の中でも特に知られるのは、脂肪酸に関する研究である。マルガリン酸を発見し、動物性脂肪とアルカリを用いた石鹸の製造法を開発したとされる。1823年に発表した動物脂肪の研究では、石鹸の基本的な性質を明らかにした。動物性および植物性脂肪の構成要素としてステアリンとオレインを発見し、そこからステアリン酸、オレイン酸、セタノールを分離して命名したのである。これらの基礎研究は、当時のろうそく製造業の発展に大きく貢献した。化合物の概念を明確に定義した最初の科学者であり、有機化合物の性質を正式に特徴づけた最初の科学者でもあって、現代有機化学の創始者の一人と見なされている。
色彩の研究のきっかけは、ゴブラン織の仕事だった。1824年、技術的な不備への苦情を受けて、パリのゴブラン織工場の染色部門の責任者に任じられた。調査の結果、一部の染料の品質が不十分であることは認めたが、よく批判されていた黒の染料には問題がないと突き止めた。黒で染めた布が、濃い青や紫に隣り合うと、実際より弱々しく、わずかに赤みを帯びて見えたのである。これを「同時対比」と名付け、ある色が隣り合う色の補色の方向へ視覚的に変化する傾向として定義した。1839年にはこの概念の影響を考察した著作を刊行し、あらゆる視覚芸術を包括する理論の構築を試みた。色彩を「類似色の調和」と「対比の調和」に分けたこの理論は、タペストリーや絨毯から、劇場、地図、ステンドグラス、女性の衣服、軍服まで及び、新印象派のスーラやシニャックの点描に多大な影響を与えた。
彼は詐欺を厳しく非難し、勃興しつつあった心霊術に対して徹底して懐疑的だった。魔法の振り子やダウジング棒、テーブルターニングの動きの背後には、不随意で無意識な筋肉の反応があることを、1833年のアンペールへの公開書簡や1854年の論文で説明した。これは観念運動効果の最も初期の記述の一つとされる。100歳のとき、写真家ナダールとその息子の取材を受け、記事は史上初のフォト・インタビューとなった。生後間もなくフランス革命に遭い、102歳でパリに没した。その100周年を記念するエッフェル塔は、死の翌月に完成し、塔には彼の名が刻まれている。晩年は老年学の先駆者としても知られた。
同じ年に亡くなった人物
- ジョヴァンニ・ボッテジーニ (1889年没)
- カルル・ダヴィドフ (1889年没)
- ジェームズ・プレスコット・ジュール (1889年没)
- ルドルフ (オーストリア皇太子) (1889年没)
- 同慶帝 (1889年没)
同じ地域に関係する人物
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- ルイ・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯) (1475年没)
- アンドレ・シャルル・ブールフランス (1732年没)
- ジャン・マビヨン (1707年没)
- フェルディナン・フォッシュ (1929年没)