伝記
キュナネは、アレクサンドロス大王の異母姉にあたる女性で、ピリッポス2世とイリュリアの王女アウダタとの間に生まれた娘である。紀元前357年ごろの生まれと推定されている。ポリュアイノスによれば、母アウダタはイリュリアの伝統にならって娘に「戦いの技」を仕込んだという。キュナネは紀元前340年代の半ばごろ、父ピリッポスのイリュリア遠征に同行し、戦いのさなかにイリュリアの女王を自らの手で討ち取ったとされる。戦場で敵を殺したと記録される数少ない女性の一人だという。ヘレニズム時代のマケドニアの王族の女性のうち、最前線で戦ったのは3人だけで、彼女はその一人である。また、のちに摂政ペルディッカスの弟アルケタスと対したとき、亡きアレクサンドロスの軍を打ち破ったともいわれる。
父は彼女を従兄弟のアミュンタスに嫁がせ、二人の間には娘が生まれた。この娘はアデアといい、のちにエウリュディケと呼ばれた。アミュンタスが紀元前336年に死んで、キュナネは寡婦となった。アミュンタスの死はアレクサンドロスの命令による暗殺だったともされる。翌年、アレクサンドロスは、功績に報いる褒美として彼女をアグリアネス人の王ランガロスに嫁がせることを約束したが、花婿となるはずだった王は病に倒れて死んだ。その後キュナネは再婚せず、娘の教育に力を注いだ。自分が受けたのと同じように、娘にも武芸を仕込んだと伝えられる。
紀元前323年にアレクサンドロスが死に、異母弟のピリッポス・アリダイオスが王に選ばれると、キュナネは娘アデアをこの新王に嫁がせようと決意した。ストリュモン川ではアンティパトロスの妨害を受けたが、これを越え、さらにヘレスポントスを渡ってアジアに入ったとされる。娘が王妃となる縁組は、オリュンピアスとペルディッカスにとって好ましくなかった。ペルディッカスは弟アルケタスを送り、彼女がアジアへ進むのを阻もうとした。フリュギアのケライナイの近くで、マケドニアの兵士たちは、アレクサンドロスの姉の姿を見ていったん足を止めたという。彼女はアルケタスの恩知らずをなじり、敵の数にひるむことなく戦いを挑んで、勇ましく死ぬ覚悟だったとされる。彼女の死後、その軍の指揮を執ったのは娘のエウリュディケであった。
彼女が殺された状況は詳しく分かっていない。しかしアルケタスに従っていたマケドニア兵にとって、ピリッポス2世の娘を殺すことは忠誠への重大な背反であり、軍は反乱を起こした。その結果、ペルディッカスは譲歩を余儀なくされ、アデアとピリッポス3世の結婚は予定どおり行われた。この死は、アンティパトロス、クラテロス、片目のアンティゴノスがペルディッカスに対抗する連合を形づくる動きも早めたといわれる。紀元前317年、アデアと夫のピリッポス3世はオリュンピアスに殺された。オリュンピアスを破ったカッサンドロスは二人をアイガイに王家にふさわしく葬り、キュナネも同じ地に葬られて、母と娘が死後に再び結ばれた。
後世にも彼女の名は残った。メアリー・ルノーの歴史小説『葬送の競技』(1981年)にはキュナネの名で登場し、エレノア・ハーマンのファンタジー小説の連作にも現れる。ゲーム「トータルウォー・アリーナ」の登場人物でもある。さらに、1979年の現代美術作品「ディナー・パーティー」には、1038人の女性の一人として名が記され、ブーディカと結びつけられている。
同じ年に亡くなった人物
- アリストテレス (紀元前322年没)
- Leosthenes (紀元前322)
- レオンナトス (紀元前322年没)
- ナウクラティスのクレオメネス (紀元前322年没)
- デモステネス (紀元前322年没)
同じ地域に関係する人物
- リュサンドロス (提督) (紀元前395年没)
- ピリッポス4世 (紀元前297年没)
- ミカエル・コニアテス (1220年没)
- カリストゥスのアンティゴノス (紀元前300)
- Lysis of Taras (紀元前347)