伝記
アブー・ダーウード・シジスターニーは、9世紀のハディース学者である。預言者ムハンマドの言行録集『スナン・アビー・ダーウード』を編纂した人物で、完全な名はアブー・ダーウード・スライマーン・ブヌル・アシュアス・アズディー・シジスターニーという。この書はスンナ派の六大言行録集の一つに数えられ、ブハーリーとムスリムの「サヒーフ」に次ぐ権威をもつものとして重んじられている。
ヒジュラ暦202年(西暦817年または818年)、スィジスターン(シスタン)に生まれた。生家は富裕だったとされ、ペルシア人でありながらアラブの血を引く家系だとも、イエメンの大部族アズドの出身だともいわれる。835年にアッバース朝の都バグダードへ行き、その後およそ15年間、850年ごろまで、イラク、エジプト、ヒジャーズ、シリアなどを旅してまわったようである。ほかにティハーマ、ニーシャープール、メルヴなどでも学者から伝承を集めたと伝わる。多くの大学者から伝承を集め、学識と信心深さで名声を得たという。こうした旅の目的は預言者ムハンマドの伝承、すなわちハディースを集めることであった。
こうして50万話以上の伝承を集め、その中から4,800話を選んで『スナン・アビー・ダーウード』に収めた。彼に教えたイブン・ハンバルがこの書を認めたといわれ、クルアーンとこの『スナン』があれば他は要らない、とまで言われたという。アブー・ダーウードの関心の中心は法(フィクフ)にあり、そのため収録されたハディースの大部分は法に関するものである。信奉した法学派はハンバリー法学派とされるが、シャーフィイー法学派であったとする説もある。
アブー・ダーウードは、知的で洞察力のある者なら、自著のハディースのうち次の4つがあれば足りると語ったとされる。行為とは意志にもとづくものである。関わりのない問題を放っておくことは、良きムスリムたることの一部である。自分自身を愛するように兄弟を愛すまでは、誰一人信者とはいえない。許されたことは明らかで、禁じられたことも明瞭だが、その中間には疑わしい事柄があり、それを避ける者は自分の信仰を保つ、というものである。
著作は全部で21冊ほどが残るとされる。主著の『スナン』は、現在通用するムヒッディーン・アブドゥルハミードの校訂版(1935年、カイロ)で、互いに異なるハディースが5,274話数えられる。著者は、特に脆弱である旨を付記していないハディースはすべて真正だと記した。しかしイブン・ハジャル・アスカラーニーなど、付記のないものにも相当数の脆弱なハディースが混じっていると考える学者がいる。『ムラースィルの書』は、伝承の鎖が途中で欠けるムルサルと呼ばれるタイプのハディース600話を収めた書で、各ハディースの背景を徹底的に調べ、真正としか考えられないものだけを選んだという。マッカの人々に宛てた手紙『リサーラ』は、『スナン』についての解説を含む。このほかにも、『ナースィフとマンスーフ』、『禁欲の書』、『予定の書』、『預言の証拠』、『マーリクのムスナド』、『ハワーリジュ派の記録』などの書名が伝わる。没年は889年とされ、バスラで没した。888年没とする説もある。息子のアブー・バクル・アブド・アッラーフ・イブン・アビー・ダーウード(928年または929年没)は、名高いハーフィズで『ミスバーフの書』の著者となった。
同じ年に亡くなった人物
- カール3世 (フランク王) (888年没)
- ムンジル (888年)
- ブルグレッド (888年)
- ボジヴォイ1世 (888年没)
- 僖宗 (888年没)
同じ地域に関係する人物
- ラービア・アダウィーヤ (800年代没)
- アル・ハリーリー (1122年没)
- Imam Zufar (775年没)
- アブドッサラーム・アーリフ (1966年没)
- モッラー・サドラー (1636年没)