HISTORICAL PERSON · 888年没

アブー・ダーウード・シジスターニー

9世紀のハディース学者で、スィジスターンの富裕な家に生まれた。各地を旅して50万話以上の伝承を集め、4,800話を選んで『スナン・アビー・ダーウード』を編み、スンナ派で両真正集に次ぐ権威とされる。

生涯
888年没
死亡地
イラク共和国(バスラ県 / バスラ)
出生地
イラン共和国(スィースターン (地域))
出典
世界地図
イラク共和国(バスラ県)

伝記

アブー・ダーウード・シジスターニーは、9世紀のハディース学者である。預言者ムハンマドの言行録集『スナン・アビー・ダーウード』を編纂した人物で、完全な名はアブー・ダーウード・スライマーン・ブヌル・アシュアス・アズディー・シジスターニーという。この書はスンナ派の六大言行録集の一つに数えられ、ブハーリーとムスリムの「サヒーフ」に次ぐ権威をもつものとして重んじられている。

ヒジュラ暦202年(西暦817年または818年)、スィジスターン(シスタン)に生まれた。生家は富裕だったとされ、ペルシア人でありながらアラブの血を引く家系だとも、イエメンの大部族アズドの出身だともいわれる。835年にアッバース朝の都バグダードへ行き、その後およそ15年間、850年ごろまで、イラク、エジプト、ヒジャーズ、シリアなどを旅してまわったようである。ほかにティハーマ、ニーシャープール、メルヴなどでも学者から伝承を集めたと伝わる。多くの大学者から伝承を集め、学識と信心深さで名声を得たという。こうした旅の目的は預言者ムハンマドの伝承、すなわちハディースを集めることであった。

こうして50万話以上の伝承を集め、その中から4,800話を選んで『スナン・アビー・ダーウード』に収めた。彼に教えたイブン・ハンバルがこの書を認めたといわれ、クルアーンとこの『スナン』があれば他は要らない、とまで言われたという。アブー・ダーウードの関心の中心は法(フィクフ)にあり、そのため収録されたハディースの大部分は法に関するものである。信奉した法学派はハンバリー法学派とされるが、シャーフィイー法学派であったとする説もある。

アブー・ダーウードは、知的で洞察力のある者なら、自著のハディースのうち次の4つがあれば足りると語ったとされる。行為とは意志にもとづくものである。関わりのない問題を放っておくことは、良きムスリムたることの一部である。自分自身を愛するように兄弟を愛すまでは、誰一人信者とはいえない。許されたことは明らかで、禁じられたことも明瞭だが、その中間には疑わしい事柄があり、それを避ける者は自分の信仰を保つ、というものである。

著作は全部で21冊ほどが残るとされる。主著の『スナン』は、現在通用するムヒッディーン・アブドゥルハミードの校訂版(1935年、カイロ)で、互いに異なるハディースが5,274話数えられる。著者は、特に脆弱である旨を付記していないハディースはすべて真正だと記した。しかしイブン・ハジャル・アスカラーニーなど、付記のないものにも相当数の脆弱なハディースが混じっていると考える学者がいる。『ムラースィルの書』は、伝承の鎖が途中で欠けるムルサルと呼ばれるタイプのハディース600話を収めた書で、各ハディースの背景を徹底的に調べ、真正としか考えられないものだけを選んだという。マッカの人々に宛てた手紙『リサーラ』は、『スナン』についての解説を含む。このほかにも、『ナースィフとマンスーフ』、『禁欲の書』、『予定の書』、『預言の証拠』、『マーリクのムスナド』、『ハワーリジュ派の記録』などの書名が伝わる。没年は889年とされ、バスラで没した。888年没とする説もある。息子のアブー・バクル・アブド・アッラーフ・イブン・アビー・ダーウード(928年または929年没)は、名高いハーフィズで『ミスバーフの書』の著者となった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物