HISTORICAL PERSON · 800年代没

ラービア・アダウィーヤ

8世紀頃のアラブのスーフィー(イスラーム神秘主義者)。生涯は不明な点が多く、伝承ではバスラの貧しい家に生まれ、奴隷から解放された。生涯独身を貫き、昼夜に1000回の礼拝を行ったと伝わる。

生涯
800年代没
死亡地
イラク共和国(バスラ県 / バスラ)
出生地
イラク共和国(バスラ)
出典
世界地図
イラク共和国(バスラ県)

伝記

ラービア・アダウィーヤは、8世紀ごろにイラクのバスラで生きたとされる女性のスーフィー、すなわちイスラーム神秘主義者である。詩人でもあったと伝えられ、神への純粋な愛を説いた人物として、スーフィズムの歴史でもっとも名高い女性の一人に数えられる。ただし、その生涯を確かめる手がかりはきわめて乏しい。同時代の文献は存在せず、一次資料は断片さえ見つかっていない。生年は714年から718年ごろ、あるいは713年から717年ごろとされ、没年は801年ともいわれるが、伝記を著した研究者ルキア・エラルーイ・コーネルは、生没年はまったく不明だとしている。よく見かける年代は、ずっと後の時代の記述に由来し、出所も分からない。

生涯についての主要な資料は、12世紀から13世紀のペルシアのスーフィー、ファリードゥッディーン・アッタールが著した聖者の列伝である。アッタールの記述は神話に近く、ラービアのイメージに大きな影響を与えたが、時代が下るにつれて奇跡譚が増えていったと指摘されている。そのため、実在の人物の履歴というより、聖者の理想像が何世紀もかけて形づくられたものとして読むのがよいともいわれる。それでも、彼女がバスラで暮らし、同地の聖者の一人とみなされていたことは、かなり確かだとされる。

通説によれば、バスラの貧しい家に四番目の子として生まれた。カイス族の出とする説もある。幼いころに連れ去られて奴隷として売られたともいい、歌い手として生き延びたという伝えもあるが、これは伝説にすぎない。父の死後に禁欲の道へ入り、砂漠で祈りの日々を送ったともいう。奴隷だったラービアが光に包まれて祈る姿を主人が見て、聖人と悟って解放したという逸話も伝わる。また、著名なスーフィーのハサン・バスリーの弟子になったとされ、アッタールは、師が彼女を深く敬ったことを示す話をいくつも記している。

ラービアは結婚を退け、生涯独身を通した。イスラームでは結婚が模範とされるため、これは異例のことだった。多くの求婚を断ったのは、ただ神にのみ身をささげようとしたからだといわれる。それでも訪れる人は多く、名高い神秘家も含まれ、教えを求める弟子も集まった。教えはしばしば詩の形で語られたという。ほかにも、客人のために不思議に食べ物が現れた、体から出る光で灯りが要らなかった、といった奇跡の話が伝えられ、こうした伝承は、彼女が神の友である聖女とみなされたことをよく示している。昼夜に千回もの礼拝を行ったと伝わり、謙虚さと倫理観でも人々に慕われた。

彼女自身は著作を残さず、伝わるのは聖者列伝などに収められた断片的な祈りや言葉、詩である。それらは彼女の名を冠してはいるが、実際の出所は不明である。その中心は、神への愛と親しみであった。春に窓を閉ざし、咲き出した花に目もくれず、花と春を造った神だけを思い続けたという話もある。彼女は、地獄への恐れや天国への望みを離れて、神をただ神として愛しようとした。天国の乙女や宮殿の約束も、神の永遠の美を覆うヴェールにすぎないと見ていたという。手に松明と水桶を持ち、天国に火を、地獄に水を投げに行くのだと答えたという有名な話は、その考え方をよく表している。伝説では80代のころ、バスラで病没したとされる。実在を確かめられない人物でありながら、その名と伝説と詩は後世のイスラームの人々に影響を与え、今日でも一部では聖人として敬われている。

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