伝記
エレソスのファイニアス(ファニアスとも)は、レスボス島の出身のギリシアの哲学者である。アリストテレスの直接の後継者・注釈者として重要視され、論理学や自然学の著作は、アリストテレスやテオフラストスの著作への注釈や補足であったらしい。歴史についても多くを著した。作品はいずれも他の著者に引用された断片としてのみ伝わっている。
ファイニアスはレスボス島のエレソスに生まれた。同郷の友人にテオフラストスがおり、ディオゲネス・ラエルティオスは、テオフラストスがファイニアスに宛てた書簡に言及している。紀元前332年ごろにアテナイへ来て、テオフラストスとともに逍遙学派に加わった。テオフラストスに次ぐアリストテレスの高弟とされ、逍遙学派が扱った哲学のあらゆる分野、とりわけ論理学、植物学、歴史、文学について書いたという。
論理学については情報が乏しい。アリストテレスの著作への注釈や補足を書いたらしいが、やがて師自身の著作の陰に隠れたとされる。アンモニオスの一節には、エウデモス、ファイニアス、テオフラストスが師にならって『カテゴリー論』『命題論』『分析論』を著したとある。また、アフロディシアスのアレクサンドロスが伝えるイデアに関する重要な一節は、ファイニアスの『ディオドロス論駁』からのものである。これは、アテナイオスが音楽家への批判を引く『ソフィスト論駁』と同じ著作かもしれない。『植物について』という著作はアテナイオスにたびたび引かれ、テオフラストスの同じ主題の著作への補足だったと思われる。庭園で育てられるものなど、人間に身近な植物に特に注意を払い、定義への正確さと配慮という逍遙学派らしい文体がうかがえる。
歴史では、プルタルコスが彼を「歴史に通じた哲学者」と呼んで権威として引用している。『エレソスのプリュタネイス』という年代記風の著作があり、その第2巻がアテナイオスに引かれている。これは故郷の歴史だったか、エレソスの役人の任期で整理したギリシア全般の歴史だったかのどちらかである。僭主の歴史にも関心を寄せ、『シチリアの僭主について』や、アリストテレスの『政治学』が触れた問題を論じたらしい『復讐のための僭主殺しについて』を書いた。後者の断片には、ヘラクレイアの僭主を殺したアンティレオンとヒッパリノスの話がある。
文学史では『詩人について』があり、アテナイの音楽家や喜劇作家に注意を払ったようだ。『ソクラテス派の哲学者について』もディオゲネス・ラエルティオスに2度言及されている。ギリシア音楽史のための体系的な資料集成を最初期に行った一人でもあり、これらの著作は今は失われたが、帝政期のアテナイオスや偽プルタルコスなどの編纂者の重要な典拠となり、のちの辞書類にも材料を供した。
同じ年に亡くなった人物
- カンパスペ (紀元前 360年(推定))
- スタサノル (紀元前 360年(推定))
- アリダイオス (紀元前 360年(推定))
- テーバイのアリステイデス (紀元前360)
- アゲシラオス2世 (紀元前360年没)
同じ地域に関係する人物
- エリギュイオス (紀元前328年没)
- Agatharchus (紀元前460)
- ヘルマルコス (紀元前249)
- アモルゴスのセモニデス (紀元前550)
- アリスティルス (紀元前300)