伝記
アリスティルロス(アリスティロスとも)は、古代ギリシアの天文学者である。紀元前261年ごろに活動したとされ、アレクサンドリアの学派に属し、おそらくティモカリスの弟子だったと考えられている。生涯についてはほとんど知られていない。前3世紀前半に天体観測を行ったという記述があり、前233年ごろに生きていたようだとする記述もある。かつては前300年ごろの人とされていたが、最小二乗法によって正しい年代が求められた。なお、サモス出身だとする説もあるが、それを裏づける証拠はなく、誤解にすぎないのかもしれないと指摘されている。
アリスティルロスとティモカリスは、アレクサンドリアのムセイオンで働き、目盛りのついた器具を使って恒星や惑星の位置を系統的に記録した中心人物とされる。二人は、星の位置を数値の測定で示した、最初の本格的な恒星目録をつくったと一般に考えられている。プトレマイオスは『アルマゲスト』で、この二人をヒッパルコス以前に恒星の観測を行ったほとんど唯一の人物としている。ヒッパルコスはその記録が不正確ながらも利用せざるを得なかったという。プルタルコスも、二人をアリスタルコスとヒッパルコスのあいだの天文学の著述家として挙げている。
『アルマゲスト』には、アリスティルロスが測った六つの恒星の赤緯が残されている。ふつう、その対象はカペラ、双子座の二つの主星、大熊座の尾の三つの星とされる。数値はどれも、四分の一度という慎重すぎる丸めの範囲内で正確である。年代が誤って古く見積もられていたあいだ、そのデータは古代でも最悪の部類に見えたが、正しい年代が突き止められると、古代で並ぶもののない精度だったことがわかった。測定値の傾向から、アレクサンドリアで観測したと考えられている。
その記録は後の天文学に生かされた。ヒッパルコスは、自分の観測した恒星の位置を、約百五十年前にアリスティルロスとティモカリスが得た位置と比べて、春分点・秋分点が移動する歳差を発見した。プトレマイオスは、二人が集めた惑星の位置を用いて惑星運動の理論を導いた。また、恒星の観測に関する著作はヒッパルコスとプトレマイオスに用いられ、アラトスの注釈書を書いた同名の人物の一人にも当たると考えられている。月のクレーター「アリスティルス」は、この人物にちなんで名づけられた。月の子午線の近くにあって、アレクサンドリアの緯度とほぼ同じ月面の緯度に位置している。
同じ年に亡くなった人物
- ポントゥスのミトラダテス2世 (紀元前300)
- マニウス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラ (紀元前 300年(推定))
- ガイウス・ドゥイリウス (紀元前 300年(推定))
- グラウベールマン (紀元前 300年(推定))
- ソタデス (紀元前300)
同じ地域に関係する人物
- エラシストラトス (紀元前248)
- Metrodorus of Chios (紀元前400)
- Zoilus (紀元前319)
- ナムク・ケマル (1888年没)
- サモスのドウリス (紀元前269)