伝記
イブラーヒーム・アルマウスィリーは、アッバース朝初期を代表する作曲家・歌い手の一人である。アブー・イスハーク・イブラーヒーム・アルマウスィリーといい、742年に生まれ、804年に没した。ペルシャ系の出身のアラブ人音楽家とされ、クルド系ともペルシャ系ともいわれる両親のもと、イラクのクーファで生まれた。没地はバスラとする説もある。カリフのマフディー、ハーディー、ハールーン・アッ=ラシードの3代に仕え、とりわけハールーンに近しく、当代随一の音楽家となった。
幼いころに両親を亡くし、叔父に育てられた。彼を引きつけたのは学問ではなく歌であり、23歳のとき、モスルへ逃れて、荒くれた若者たちの一団に加わった。1年ののちにライ(レイ)へ移り、そこでカリフ、マンスールの使節に出会って、バスラに行って歌の稽古を受けられるようになった。やがて歌い手としての名声が広まり、カリフのマフディーが彼を宮廷に呼んだ。
宮廷では、ハーディーの治世にも寵愛され続けた。ハールーン・アッ=ラシードは、死ぬまで彼を常に側に置いたという。ハールーンは、彼が没したとき、息子のマームーンに、その遺体の上で祈りを唱えるよう命じた。彼は敬虔なイスラーム教徒ではなく、酒の飲みすぎで二、三度逮捕され投獄されたが、そのたびに宮廷の寵愛を取り戻したと伝わる。その歌は当時知られていたどんなものよりもはるかにすぐれていた。
音楽の流派の上では、保守的なアラブ音楽の立場を守り、イブン・ジャーミウら進歩的な音楽家に対抗した。多くの弟子を育て、中でも息子のイスハーク・アルマウスィリー、解放奴隷のムハーリク、リュート奏者のザルザル、そしてジリヤーブらが知られる。息子イスハークは父の後を継いで保守的な伝統の指導者となり、後世のアラブ音楽に決定的な姿を与えたと評される。イスハークは400を超える旋律を遺したとされ、その孫のハンマードも家の伝統を受け継いだが、才能は先人に及ばなかったという。
「イスラーム音楽の古典主義の父」と呼ばれ、アラブ・イスラーム世界で最初の音楽学校をつくる動きの起点になったともいわれる。イブラーヒームとイスハークの父子は、それまでの誰にもまして東方の音楽を一新し、のちのさまざまな音楽様式の土台を築いたといわれる。弟子のジリヤーブはその伝統を北アフリカやアンダルシアへ広め、リュートに弦を1本加えるなどの工夫も伝わる。彼の逸話は『千夜一夜物語』や『歌の書』にも数多く見える。
同じ年に亡くなった人物
- アルクィン (804年没)
- ジョヴァンニ・ガルバイオ (804年)
- 陸羽 (804年没)
同じ地域に関係する人物
- ムウタディド (902年没)
- ナスィールッディーン・トゥースィー (1274年没)
- フナイン・イブン・イスハーク (870年代没)
- ムクタフィー (12世紀) (1160年没)
- ハーディー (アッバース朝カリフ) (786年没)