HISTORICAL PERSON · 1844年没

エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール

フランスの博物学者。ナポレオンのエジプト遠征に同行し、器官の相同関係から動物界には共通の「構造の単一のプラン」があると説いた。

生涯
1844年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(エタンプ)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレールは、フランスの博物学者である。1772年4月15日にパリ南方のエタンプで生まれ、1844年6月19日にパリで没した。サン=ティレールは、父が家を買ったエタンプ近郊の村の名である。家は法服貴族に近い市民層で、父ジャン・ジェラール・ジョフロワはエタンプの判事で、パリ高等法院の顧問も務めた。母はマリー・アンヌ・テレーズ・ブリザールである。少年は初め聖職者を志し、エタンプの学寮に学んだ後、パリのナヴァール学寮で博物学者ブリソンに教わった。アユイ、ラヴォワジエ、ベルトレらの科学者と交わり、ドーバントンのコレージュ・ド・フランスでの講義や、フルクロワの王の庭での講義にも出た。

ドーバントンの紹介で、ベルナルダン・ド・サン=ピエールの働きかけにより、ラセペードの辞任で空いた博物学陳列室の副管理人兼助手の地位を得た。その後の法律で、新設の国立自然史博物館の12人の教授の一人となり、動物学の講座を受け持った。同じ年に博物館の動物園の設立にも携わり、初代園長を務めた。フランス革命で投獄されたアユイの解放にも尽力した。1794年にはジョルジュ・キュヴィエと文通を始め、キュヴィエが博物館の助手に雇われると、自分の家に迎えた。二人は共同で複数の論文を著し、そのうち哺乳類の分類は、キュヴィエの分類体系の基礎になった。1795年に書いたマダガスカルのキツネザルについての論文で、生物の体制の単一性についての見方を初めて表し、この考えは後の著作にも一貫している。

1798年、ナポレオンのエジプト遠征に参加した。調査団でエジプトの爬虫類と魚を中心に動物学の観察を数多く集めたが、1800年には眼炎で、約1か月ほぼ失明した。地中海と紅海の魚が同じものが多く、かつて二つの海がつながっていたことを示すと考えた。ナイル川の魚のすべてを集め、とりわけ、えらの開き方と胸びれを支える腕のような構造が哺乳類の四肢に似るポリプテルスは、のちの解剖学の主張を固めた。三千年前のミイラ化した聖なる動物が現在の動物と同じであることが確認され、種の不変をめぐる、キュヴィエとラマルクの論争を再燃させた。集めた標本をイギリスが押収しようとした際は、これに反対した一人である。その後パリに戻り、1805年にアンジェリク・ブリエールと結婚して、のちに動物学者となる息子イジドール(1805年生まれ)と、1809年に生まれた双子の娘をもうけた。科学アカデミー会員に選ばれ、ナポレオンの命でポルトガルの博物館を訪れ、ブラジルの動物の標本を集めた。1810年にパリ大学理学部の動物学教授となり、解剖学の研究に打ち込んだ。1818年に『解剖哲学』の第1部、1822年に第2部を出し、1818年に書き始めた『哺乳類の博物誌』は1842年に完成した。この書で、器官は互いに常に同じ関係を保つこと、新しい器官は生じないこと、ある器官が発達すれば別の器官が犠牲になることを述べた。動物界には共通した「構造の単一のプラン」があると説き、器官や組織の相同関係を明らかにした。ショウガラゴとオオガラゴの学名も彼が命名した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物