HISTORICAL PERSON · 1970年没

ブールヴィル

フランスのコメディアン・俳優。パン屋など様々な職を経て芸能界に入り、フランスで最も人気のあるコメディアンの一人となった。『史上最大の作戦』の市長役でも知られる。

生涯
1970年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 16区)
出生地
フランス共和国(Pretot-Vicquemare)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ブールヴィルは、本名をアンドレ・ロベール・ランブールといい、1917年7月27日にフランス北西部セーヌ=マリティーム県のプレト・ヴィクマールで生まれたコメディアン、俳優、歌手である。ノルマンディーの農民の子で、父アルベール・ルネは、第一次世界大戦中にスペイン風邪で1918年に亡くなった。母は1921年に故郷のブールヴィル村に戻り、新しい夫の農民とともに息子を育てた。一家には、眼科医になる兄や妹、異父の妹と弟がおり、のちにブールヴィルの村長になる異父弟もいた。芸名のブールヴィルは、少年時代を過ごした村の名からとったものである。

成績は優秀で、1931年に初等教育修了の証書を最優秀の成績で得た。農民になるはずが教師を志して師範学校へ進んだが、寄宿舎の厳しい規則になじめず、2年後に実家の農場に戻った。教会の侍者としてはいたずら好きで、家族の祝宴や祭りでは人を楽しませ、喜劇俳優フェルナンデルの歌をまねてふざけたため、「ノルマンディーのフェルナンデル」とあだ名された。1934年に楽団に入って、ハーモニカやアコーディオン、コルネットを演奏した。17歳でパン屋の見習いとなり、1936年にはルーアンのパン職人となって、仲間と三重奏団をつくった。1937年、ルーアンのサーカス場で、憧れのフェルナンデルの舞台を見て、自分も芸人になろうと決意した。軍楽隊に入るため志願して2年間の兵役に就き、パリの連隊でコルネット奏者となった。1938年、戦友にそそのかされてラジオの素人のど自慢に出場し、「アンドレル」の名で歌って優勝した。賞金の300フランで、すぐにアコーディオンを買ったという。

フランスの敗戦後に除隊し、パリで配管工や使い走りなど多くの仕事をしながら、ラジオの番組やキャバレー、ミュージック・ホールを回って音楽の道を続けた。フェルナンデルのまねでは客が呼べなくなったため、前髪を額に垂らし、きつい黒いズボンと上着を着けて、素朴な農民の「喜劇役者」を演じる芸風をつくり上げた。こうして1942年、アンドレルはブールヴィルとなった。ミュージック・ホール、オペレッタ、ラジオでヴォードヴィリアンとして活躍し、解放後は歌「レ・クレイヨン」で成功を収めた。1945年に映画デビューすると、フランスで最も人気のあるコメディアンの一人となった。

1956年の『パリ横断』では、占領下で闇商売をする失業者という悲劇的な役を演じて、ヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受けた。これを転機に、喜劇と悲劇を交互にこなす大スターとなった。『三銃士』(1953年)、『レ・ミゼラブル』(1958年)のほか、1962年の『史上最大の作戦』では、連合軍の侵攻に大喜びする市長を演じた。1964年の『大追跡』をはじめとして、ルイ・ド・フュネスとの迷コンビぶりは印象深く、『大進撃』(1966年)や『大頭脳』(1969年)も成功を収めた。シリアスな演技を見せた1970年の『仁義』の刑事役も印象に残る。もっとも、フランスの喜劇は日本人にあまりウケないこともあり、日本では未公開のものが多い。政治家のドミニク・ランブールと経済学者のフィリップ・ランブールの父でもある。1970年9月23日、パリ郊外の病院で亡くなった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物