伝記
イブラーヒームは、ウマイヤ朝の第13代カリフである。生年は不詳で、750年1月25日に没した。第6代カリフ・ワリード1世の子で、母は奴隷の身分の女性だったとされ、その名はスアルともブダイラともいわれる。兄に先代のカリフ、ヤズィード3世がいる。
兄ヤズィード3世の治世に、イブラーヒームは後継者に指名された。その事情として、後継者に自分たちに好意的な人物を求めたカダル派の圧力があったとも伝えられる。のちにヨルダン地方の総督にも任じられ、ウマイヤ家の権威をその地に及ぼす役目を負ったという。
744年、ヤズィード3世が脳の腫瘍を病んで早世すると、イブラーヒームが跡を継いでカリフを称した。在位は10月上旬から数えて二か月ほど、ごく短いものだった。しかし、その権威が認められたのは主にシリア南部にとどまった。兄の死に毒殺の疑いがかけられ、イブラーヒームがその背後にいるのではないかと疑われたためとされる。北部のホムスは承認を拒み、包囲を受けた。それでも彼は、イラク総督にアブドゥッラー・イブン・ウマルを任じる人事を確認している。
そこへ、アルメニアとアゼルバイジャンの総督を務めていたウマイヤ家の一族、マルワーン・イブン・ムハンマドが、先々代のカリフ、ワリード2世の死の報復を掲げてシリアに向かった。マルワーンはアレッポでイブラーヒームの二人の兄弟を破ってホムスの包囲を解き、イブラーヒームが送った新たな軍も744年11月18日のアイン・アル=ヤルの戦いで大敗した。ダマスカスではワリード2世の二人の子が殺され、これによって情勢は一変し、マルワーン自身が帝位を望みうる立場となった。イブラーヒームは同月末に退位させられ、マルワーンがカリフを名乗った。
退位後の行動については、伝えが分かれる。ダマスカスでただちにマルワーンをカリフと認めたとも、身を隠したのちマルワーンから身の安全の保証を得て臣従を誓い、ヒシャームの居館があったルサーファへ同行したともいわれる。パルミラに逃れたという説もある。最期についても、疫病に倒れた、アッバース家に処刑された、750年1月のザーブ川の戦いで落命したなど諸説があり、確定しない。いずれにせよ、ウマイヤ家の多くの者と同じく、王朝の終わりとともに歴史から姿を消した。
同じ年に亡くなった人物
- チチャク (750年)
- ラーキス (750年(推定))
- ビテュニアのマリーナ (750年)
- マルワーン2世 (750年没)
- キルデリク3世 (フランク王) (750年代没)
同じ地域に関係する人物
- サルゴン2世 (紀元前705年没)
- イブン・アスィール (1233年没)
- サイフッディーン・ガーズィー (1149年没)
- ウダイ・サッダーム・フセイン (2003年没)
- クサイ・サッダーム・フセイン (2003年没)