HISTORICAL PERSON · 紀元前420年代没

アナクサゴラス

クラゾメナイ出身の自然哲学者で、イオニアの哲学をアテナイへ初めて持ち込んだ。万物は無数のスペルマタの混合で、ヌースが秩序を与えたと説き、太陽を灼熱した石とみて不敬罪に問われ、ラムプサコスへ移った。

生涯
紀元前420年代没
死亡地
トルコ共和国(チャナッカレ県 / ランプサコス)
出生地
トルコ共和国(クラゾメナイ)
出典
世界地図
トルコ共和国(チャナッカレ県)

伝記

アナクサゴラスは、古代ギリシアの自然哲学者である。生年は紀元前500年ごろ、没年は紀元前428年ごろとされ、小アジアのイオニアにある都市クラゾメナイの出身で、イオニア学派の系譜に連なると見られている。当初はいくらかの財産があり、地元で政治的に成功する見込みもあったようだが、知識の探求の妨げになるとして地位も財産も自分から手放したと言われる。ローマの著作家の伝えでは、長い航海から戻ると財産が失われており、彼は「たとえ残っていても、自分から捨てただろう」と語ったという。ローマ人はこの言葉を、最高の知恵のあり方を示すものと評した。

彼はイオニアの反乱でクラゾメナイが鎮圧されていた間、ペルシアの軍にいたようだともされる。やがて急速にギリシア文化の中心となりつつあったアテナイへ移った。移住の時期は紀元前480年とする記述と、壮年期の紀元前464〜461年ごろとする記述があり、一致しない。いずれにせよ、イオニアからアテナイに哲学を持ち込んだ最初の哲学者とされ、その地でおよそ30年を過ごした。政治家ペリクレスは彼を敬愛して称え、詩人エウリピデスの科学と人間愛への熱意も、彼に導かれたものだという。

思想の中心は、物体は限りなく分割でき、その無限に小さく無数の構成要素を「スペルマタ」、つまり種子と呼ぶ考えにある。世界のあらゆる物質は、多種多様なスペルマタが混ざって生じたもので、はじめは雑然と混ざっていたものが、理性を意味する「ヌース」の働きで次第に分けられ整理され、秩序ある今の世界になったというのが根本の考えである。原始の混合物はヌースによって回転を始め、冷たい霧と温かいエーテルが分かれ、冷たさが増すと霧は雨、土、石となったと説いた。人間を含む動物は暖かく湿った泥から生まれたと考えた。感覚の証拠は疑うべきで、死や成長は新たな集合と分裂にすぎないとし、思慮による結論を重んじた。物質が微小な要素から成るという発想と、秩序の成立を機械的な過程で説明する点から、原子論への道を開いたとされる。アリストテレスは、理性と魂を区別できなかったと批判し、ソクラテスは、彼のヌースを意図と知識の原因とした「機械仕掛けの神」にすぎないと見たと、プラトンの『パイドン』は伝える。

天体の観察にも取り組み、日食、月食、流星、虹を科学的に説明しようとした。太陽は燃え盛る巨大な石の塊で、ペロポネソス半島より大きいと唱え、月が太陽の光を反射して光ることを最初に述べた人物とされる。月には山があり、人が住むとも考えた。また、地球は平らで、下にある強い空気に支えられて浮かび、その乱れが地震を起こすと説いた。

しかしこの太陽の説は不敬の罪に問われる原因になった。ディオゲネス・ラエルティオスは、クレオンによる告発だったと伝え、友人のペリクレスが弁護に立ったため軽い刑で済んだという。プルタルコスは、批判を受けていたペリクレスが保身のために彼をランプサコスへ送ったと記す。結局アテナイを去って小アジアのトロアスにあるランプサコスへ隠居し、約72歳で世を去った。市民は彼を悼んで「知性と真理」の祭壇を築き、命日を記念日として長く供養した。著書は哲学に関する一冊だけで、6世紀にシンプリキオスが保存した断片しか残っていない。思索がギリシアの植民地からアテナイへ移る契機をつくった点で、彼は哲学史の分岐点となったとされる。月のクレーターと小惑星には彼の名が付けられ、ゲーテの『ファウスト』第二部にも、タレスと議論する人物として登場する。

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