伝記
ブーシーリーは、13世紀のエジプトで活動したアラビア語の詩人で、シャーズィリー教団に属するスーフィーである。預言者ムハンマドをたたえる詩「外套の頌詩(ブルダ)」の作者として知られる。生年は1211年、1212年、1213年とする説があり、1213年3月7日とする記述もある。ベルベル系のサンハージャ族の出で、生まれは、エジプト南部ベニ・スエフ県のダラスという町とも、アルジェリア(カビリア)のダラスともいわれる。
父はブーシール村の出身で、名はそこに由来し、母がダラスの出だったため、ダラスィーリーの名を用いることもあった。ブーシール村で育ち、のちにカイロへ移った。幼いころにクルアーンを暗記し、当時の学者たちに学んだ。シャーズィリー教団の聖者アブー・アルアッバース・アルムルシーの直接の弟子である。
ブーシーリーは預言者の伝記を丹念に読み、その言行を調べて集め、詩の才をすべて預言者の賛美にささげた。宰相イブン・ヒンナーの庇護のもとで詩を書き、3編のバーイーヤと呼ばれる頌詩、ハーイーヤやダーリーヤのほか、ハムズィーヤ、ムダリーヤなどを残した。ユダヤ教徒とキリスト教徒への反論を述べた詩や、口語の語を整える書も著している。1291年には、アッコンが十字軍の手から解放されたことを受けて、トルコ人を称える詩を書いた。
もっとも有名な作品がブルダで、正式には「最良の被造物をたたえる輝く星々」といい、160行からなる。詩の中で、病で麻痺していた自分が、夢に現れた預言者に外套で身を包まれて癒やされたと語っている。この詩は作者の存命中から、スーフィーたちのあいだで神聖なものとされた。詩句はお守りとして身につけられ、死者を悼む嘆きの場でも唱えられ、原詩の各行のあとに4行か6行を挟み込んだ詩も作られた。後世の詩人たちもこれにならって詩を作り、シャウキーの『ブルダの道』は190行に及ぶ。預言者を賛美したカァブ・イブン・ズハイルの詩にならった作とされる。ドイツ語(1860年)、英語(1893年)、フランス語(1894年)などに翻訳されてきた。
ブーシーリーは、アレクサンドリアで1295年に87歳で没したと伝えられるが、没年を1294年とする記述もある。墓はアレクサンドリアにあり、その壁にはブルダの詩句が記されている。
同じ年に亡くなった人物
- ドミトリー・アレクサンドロヴィチ (1294年没)
- ジャン1世 (ブラバント公) (1294年没)
- ブルネット・ラティーニ (1294年)
- ルシア (トリポリ女伯) (1294年(推定))
- クビライ (1294年没)
同じ地域に関係する人物
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (1947年没)
- コンスタンディノス・カヴァフィス (1933年没)
- ゲオルギオス・アベロフ (1899年没)
- Anwar Mesbah (1998年没)
- ムスタイーン (1430年没)