伝記
アナクサンドリデス2世は、アギス朝のスパルタ王である。先代の王レオンの子で、在位は紀元前560年ごろから紀元前525年(紀元前524年とも)までとされる。スパルタにはアギス朝とエウリュポン朝の二つの王家があり、彼は前者に属した。のちにテルモピュライで戦ったレオニダス1世の父であり、プレイスタルコスの祖父にあたる。
治世の初めの紀元前560年ごろ、彼はアルカディアのテゲア人を破り、スパルタの優位を認めさせたとされる。それまでの王の時代、テゲアとの戦争はスパルタに不利に進んでいた。しかしリュディア王クロイソスが「ギリシア人の最強の者」と同盟を結ぼうと使節を送った紀元前554年ごろには、アナクサンドリデスとエウリュポン朝の王アリストンのもとで、戦争はスパルタの勝利に決していた。この戦争に関しては、神託によりオレステスの骨をスパルタに持ち帰る必要があったという話もある。引退した騎兵リカスがテゲアで休戦中に、デルフォイの神託の描写どおりに鍛冶屋の家でそれを見つけたと伝わる。二人の王はまた、僭主政の打倒と、それによるスパルタの覇権の確立でも中心となった。紀元前6世紀の半ばには、シキュオンへ遠征して僭主アイスキネスを倒したが、これは監督官キロンの助力によるものだった。二人の王はペロポネソスの大半を支配し、紀元前540年ごろにはティレアティス地方も手に入れていた。
当時のスパルタは、そのキロンの指導のもとで、メッセニアのような暴力的な征服をやめ、外交に基づくアカイア寄りの政策を採った。キロンは、ドーリア人が来る前にペロポネソスを治めたアカイア王たちの遺産をスパルタが継ぐと主張した。紀元前550年ごろにはアミュクライで伝説のアカイア王アガメムノンが祭られはじめ、オレステスとその子ティサメノスの骨もスパルタに葬られた。こうしてスパルタはドーリア系でない都市を同盟に加え、これがのちのペロポネソス同盟になった。同盟はドーリア系の主要な競争相手アルゴスを抑えることを狙った。
アナクサンドリデスの私生活は、継承をめぐる出来事で知られる。最初の妻は姉妹の娘とされるが、長く子ができなかった。紀元前540年ごろ、監督官は妻と離別して再婚するよう提案した。彼が拒むと、監督官は長老会と相談し、離婚せずにもう一人の妻を迎える案を示し、彼はこれを受け入れた。スパルタでは行われない重婚であり、拒めば平等者たちの介入を招くという圧力もあったとされる。二人目の妻はキロンの縁者だったとされ、キロンの影響が考えられる。クレオメネスの母は、プリネタデスの娘だともいわれる。二人目の妻との間にまもなくクレオメネスが生まれたが、同じころ最初の妻も身ごもり、ドリエウス、レオニダス、クレオンブロトスを産んだ。名にドーリア人を意味するドリエウスを選んだのは、アカイア寄りの政策に彼が反対し、ドーリア人としての出自を持ち出したためとも考えられている。
クレオメネスが最年長とされたことから、王位は彼が継いで、クレオメネス1世となった。ただ継承は争いなしとはいかず、クレオメネスは長子だと主張し、ドリエウスは王妃の最初の子だとして王位への権利を訴えたという。クレオメネスは王位にあって、ドーリア人としての出自を退け、自らをアカイア人と称して、異母兄弟たちとしばしば対立した。クレオンブロトスは、のちに兄レオニダスが戦死した際、スパルタの摂政に任じられた。
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