伝記
アエロポス1世は、アルゲアス朝のマケドニア王である。在位は紀元前602年から紀元前576年とされるが、治世の長さについては20年、25年、26年など伝えが分かれ、おおよそ紀元前588年から紀元前540年ごろとする見方や、紀元前563年ごろとする推定もある。先代の王ピリッポス1世の子で、次代の王アルケタス1世の父である。ヘロドトスによれば、マケドニア初代の王ペルディッカスの曾孫にあたる。エウセビオスの伝える二つの王の一覧では、ピリッポス1世の次に在位20年のアエロポスが置かれ、その次がアルケタス1世となる。ただしユスティヌスは後継者をアミュンタス1世としており、ヘロドトスによればアミュンタスはアルケタスの子である。
父のピリッポス1世はごく早く世を去り、アエロポスはまだ幼い赤子のうちに王となった。そのころマケドニア人は、トラキア人やイリュリア人と戦っていた。かつて近隣に恐れられたマケドニア人であったが、イリュリア人は幼い王を侮ってマケドニアに攻め込み、各地で勝利を重ねて国土を荒らした。
マケドニア軍は一度は敗れた。やがて兵士たちは、自分たちが勝てないのは王が戦場にいないからだと考えるようになった。マケドニアの王はふつう軍を率いて戦いに臨むものだったからである。そこで幼い王を揺りかごに入れたまま戦場へ運び、最前線のすぐ後ろに置いて、再び戦った。それでも軍は敵に押し返された。しかし王が敵の手に落ちかねないと気づくと、兵士たちは最後の力をふりしぼって攻撃をしのぎ、ついにイリュリア人を敗走させた。この戦いでマケドニア軍は、先の敗北が勇気の不足ではなく、王の不在によるものだったことを示したとされる。トラキア人とイリュリア人はやがてマケドニアから完全に退いたという。ただし、赤子の王を連れ出したというこの話は、伝承にもとづくものとされる。
プルタルコスによれば、アエロポスは余暇に食卓や燭台を作っていたという。治世についてのほかの詳しい事績は記録されていない。妻の名も伝わらない。王位は、子のアルケタス1世が継いだ。
同じ年に亡くなった人物
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同じ地域に関係する人物
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