伝記
キャリー・バンクス・マリスは、1944年12月28日にノースカロライナ州レノアで生まれたアメリカ合衆国の生化学者である。ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法の開発で知られ、1993年にマイケル・スミスとともにノーベル化学賞を受けた。両親はセシル・バンクス・マリスとバーニス・バーカー・マリスで、一家は農業を営んでいたとされる。子どものころは野外の生き物の観察に興味を持ち、祖父母の家の地下室にいるクモに関心を寄せていた。サウスカロライナ州コロンビアで育ち、ドレハー高校に通った。化学への関心は、1960年代の高校時代に固体燃料ロケットを化学的に合成して作る方法を学んだことから始まったと本人は振り返っている。
1966年にジョージア工科大学で化学の学士号を得た。この時期に最初の妻と結婚し、事業も始めたという。その後カリフォルニア大学バークレー校に進み、J・B・ニーランズの研究室で細菌の鉄運搬分子の研究に取り組み、1973年に博士号を得た。1968年には天体物理学の分野で単著の論文を学術誌ネイチャーに発表しているが、口頭試問には苦労し、学位論文は友人たちの手助けと指導教員の働きかけがあって認められたと伝えられる。学位取得後はいったん科学から離れて小説を書き、その後カンザス大学医療センターと、カリフォルニア大学サンフランシスコ校でポスドクとして研究した。この間にはパン屋を2年間営んだこともあった。
科学の世界へ戻るよう勧めたのはバークレー時代の友人トーマス・ホワイトで、その縁でバイオテクノロジー企業シータス社に職を得て、約7年間DNA合成の分野で働き、やがてDNA合成研究室の責任者になった。シータス社では奇行も語られ、上司だったホワイトは、その振る舞いに困らされたと回想している。1983年、同僚で交際相手だった女性を乗せて車で走っている最中に、現在PCRと呼ばれるDNA増幅法の着想が突然ひらめいたという。路肩に車を寄せて紙片に式を書き留め、過去の論文を調べたが同じ発想は見つからなかった。ただ、同僚にはその価値を正しく評価する者がいなかった。同年12月16日に実験が成功し、社員として論文を発表した。後に、好熱菌のDNAポリメラーゼであるTaqポリメラーゼを使う改良法が開発され、分子生物学の発展に大きな影響を与えた。開発の経緯は、人類学者ポール・ラビノウの著書『PCRの誕生』に詳しい。
1986年にシータス社を辞めてからは、サンディエゴのザイトロニクス社で2年間、分子生物学部門の責任者を務めた。紫外線に反応するインクを発明していたころ、オゾン層の穴の存在を疑い始めたという。のちには核酸化学のコンサルタントなどを務めた。1992年には、故人となった著名人のDNAを入れた装身具を売る事業を興し、同年にはアトミック・タグス社も創設した。2014年にはオークランド小児病院研究所の特別研究員に任じられている。1993年のノーベル賞受賞が決まったとき、海辺でサーフィンをしていたことから「サーファーにノーベル賞」と報じられた。LSDなどの使用経験を公言するなど型破りな言動で知られ、HIVはエイズの原因ではないとする説を支持し、オゾン層の破壊や地球温暖化も否定した。複数回の結婚と離婚を経験している。2019年8月7日、カリフォルニア州ニューポートビーチで肺炎の合併症により74歳で亡くなった。
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