伝記
ジーン・シモンズは、1929年1月31日にロンドンで生まれ、2010年1月22日にカリフォルニア州サンタモニカで没したイギリスの女優である。本名はジーン・メリリン・シモンズ。生まれた場所は、ロンドンのクラウチ・エンド地区とされる。父チャールズは、1912年のストックホルムオリンピックで、体操の団体競技の銅メダルを獲得した体操選手だった。
少女のころから映画に出て注目され、1946年の『大いなる遺産』、1947年の『黒水仙』に出演した。映画会社と契約したあとも、両親と一緒にロンドン郊外の質素な地区に暮らし続けた。ローレンス・オリヴィエに選ばれ、1948年の『ハムレット』でオフィーリアを演じて、ヴェネツィア国際映画祭の女優賞を受賞した。この役でアカデミー助演女優賞にもノミネートされた。イギリスでは国民に最も愛される女優となり、控えめな女性像を体現したと評された。1945年に撮影現場で知り合った俳優スチュワート・グレンジャーとは、1949年に共演して、美しい二人として知られるようになった。グレンジャーには妻がいたため、しばらくは目立たないようにふるまったという。
ハリウッドに招かれ、1950年にグレンジャーと結婚した。ハリウッドでは、歴史映画『聖衣』(1953年、初のシネマスコープ映画)、ミュージカル映画『野郎どもと女たち』、西部劇『大いなる西部』(1958年)、『スパルタカス』(1960年)など、幅広い分野で活躍した。『エルマー・ガントリー/魅せられた男』(1960年)でも知られる。20世紀フォックスの社長ザナックから強要を受け、グレンジャーがその社長の顔を殴ったとされ、また、製作者ハワード・ヒューズとの争いで、『ローマの休日』の主役を失ったともいわれる。当時、深刻な飲酒の問題を抱えたと、のちに自ら認めた。1960年にグレンジャーと離婚し、同年、映画監督のリチャード・ブルックスと再婚したが、1977年に離婚した。
1969年の『ハッピーエンド/幸せの彼方に』で、アカデミー主演女優賞に再びノミネートされた。ゴールデングローブ賞でも、『野郎どもと女たち』で1956年の主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を、1958年に最も活動的な女優賞を受けた。1970年代以降はテレビ映画への出演が多くなり、ミニシリーズでエミー賞も受賞した。この受賞は1983年のこととされる。2003年に大英帝国勲章を授与され、2004年には『ハウルの動く城』の英語版で吹き替えも担当した。晩年は肺がんを患い、2010年1月22日にサンタモニカの自宅で亡くなった。
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