伝記
スタン・リー(本名スタンリー・マーティン・リーバー)は、1922年12月28日にマンハッタンのウェストエンド街でルーマニア系ユダヤ人の家庭に生まれたアメリカ合衆国の漫画原作者である。文章を書くのが好きで、1937年にはニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の作文コンテストに応募して、佳作に2度選ばれている。役者を志して演劇学校に通ったのもこの時期である。
1939年、のちのマーベル・コミックにあたるタイムリー・コミックスに入社した。社長で叔父のマーティン・グッドマンに編集助手を任されたが、すぐにコミックの原作にも携わるようになり、人気作『キャプテン・アメリカ』では戦前から戦後にかけて脚本を担当した。1940年には18歳の若さで編集長に昇進している。1942年からは3年間、兵役でアメリカ陸軍通信隊に所属した。コミックライターと知られると教育用映画の脚本部に回され、訓練用マニュアルや時事漫画、ポスターを作った。除隊後、同僚のジョー・サイモンらがDCコミックスに引き抜かれるなか、社長に「代わりが見つかるまで編集をやってほしい」と頼まれ、グッドマンの指揮する戦略の下で、西部劇、SF、戦争物、メロドラマなど多様な作品を量産した。一時期はほぼ一人でライターを務め、1950年代には月に82本もの脚本を担当したこともあった。そこから偶然生まれたのが「マーベル・メソッド」で、先に物語のプロットだけをアーティストに渡し、作画ができた状態で具体的な台詞を入れる手法である。
1961年、1950年代に出した怪奇やSFのコミックが不振だったことから方向転換を決意し、倒産を覚悟でスーパーヒーローのコミックに現実的な要素をつぎ込んだ『ファンタスティック・フォー』を創刊した。これが人気を博し、以降の数年間で、ジャック・カービーやスティーヴ・ディッコらと『ハルク』、『ソー』(1962年)、『アイアンマン』、『ドクター・ストレンジ』、『スパイダーマン』、『X-メン』、『アベンジャーズ』(1963年)、『デアデビル』(1964年)を次々に世に出した。舞台を現実の都市にし、ヒーローが生活に困る様子まで描き、登場人物の言葉遣いも性格に合わせて変えた。編集後記の文体も砕けたものに改め、読者との垣根を取り払った。作家陣のクレジット表記も彼の発案とされる。1968年に『シルバー・サーファー』を単独シリーズ化したのち、脚本は後続のロイ・トーマスらに任せて第一線を離れ、スポークスマンとしてマーベル・コミックの宣伝に力を注いだ。1972年には発行責任者(社長)となったが、財務会議になじめず、すぐ辞退した。
1977年には弟のラリー・リーバーと『スパイダーマン』の新聞連載を始め、500紙以上に掲載された。1986年にマーベルが買収されたのを契機に、映画やテレビの分野へ軸足を移し、アニメ『X-MEN』や『スパイダーマン』などの製作総指揮を務めた。1999年に立ち上げた「スタン・リー・メディア」では、企画者に資金を持ち逃げされて破産を経験した。2002年には映画『スパイダーマン』の収益配分が支払われないことに不満を持ち、マーベル・コミックを提訴し、2005年に事実上の勝訴で和解している。2011年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの殿堂入りを果たした。2018年11月12日、ロサンゼルスの医療センターに急送され、肺炎により95歳で死去した。「エクセルシオール!!」という編集後記の結びの言葉は、彼の代名詞となった。
同じ年に亡くなった人物
- ウィリアム・スミス (2018年没)
- ジョン・サルストン (2018年没)
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- グドルーン・ブルヴィッツ (2018年没)
- デヴィッド・C・H・オースティン (2018年没)
同じ地域に関係する人物
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- ブルース・リー (1973年没)
- ジーン・L・クーン (1973年没)
- ケイ・ルーク (1991年没)
- フランク・ウィルコックス (1974年没)