伝記
ロバート・アンスン・ハインラインは、1907年7月7日に生まれ、1988年5月8日に没したアメリカのSF作家である。「SF界の長老」とも呼ばれ、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークと並んで、世界SF界のビッグスリーといわれた。影響を受けたSF作家は数多いが、物議を醸した作品も多い。科学技術の考証を高い水準にし、SFというジャンルの文学的質を上げることにも貢献した。他のSF作家がSF雑誌に作品を載せるなか、1940年代から自分の作品を一般紙の『サタデー・イブニング・ポスト』などに載せ、SFの大衆化を進めた。SF小説でベストセラーを生んだ最初の作家でもある。
ミズーリ州バトラーで、ドイツ系の家庭に生まれ、カンザスシティで育った。この地方の価値観は作品に強く影響しているが、最盛期の作品には、その価値観や道徳観を打破しようとする傾向があった。1925年に海軍兵学校に入学し、1929年に卒業してアメリカ海軍の士官となった。1931年には空母に乗り組んで、無線通信や、実用化されたばかりの航空機に取り組んだ。軍隊は生涯にわたって影響を与え、忠誠心やリーダーシップといった理想を信じたのも軍隊の影響である。1929年にロサンゼルスで結婚したが、1年で破局し、1932年に2度目の結婚をした。
1934年に結核を患って海軍を退役した。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学院で数学を学んだが、数週間で退学した。不動産のセールスマンや銀鉱の作業員などの職を転々とし、その間ずっと困窮していた。社会主義者のアプトン・シンクレアの活動に参加し、1934年のカリフォルニア州知事選では熱心に選挙活動を行った。1938年には州議会議員選挙に自ら立候補したが、落選した。借金を清算するために小説を書き始め、1939年に『生命線』でデビューすると、すぐに社会派SFの旗手として認識されるようになった。第二次世界大戦中の1943年から技術士官として海軍に復帰し、アシモフらとフィラデルフィア海軍造船所で働いた。
戦争が終わると、原爆投下や冷戦の勃発に刺激されて、政治的なノンフィクションを書くことを思い立ち、原稿料の高い市場にも参入したいと考えた。1947年に『サタデー・イブニング・ポスト』誌に重要な短編を発表し、「パルプ・ゲットー」から抜け出した最初のSF作家となった。原作を提供した1950年の映画『月世界征服』では、脚本にも参加し、この映画はアカデミー賞特殊効果賞を受賞した。1947年に2人目の妻と離婚し、翌年バージニア・ガーステンフェルド、通称ジニーと再婚して、40年後に死別するまで添い遂げた。ジニーは作品に登場する聡明で勇敢な女性のモデルだとされ、原稿を最初に読む役目を担った。1953年から1954年には夫妻で世界一周の船旅をし、旅行記を出版した。
『宇宙の戦士』『ダブル・スター』『異星の客』『月は無慈悲な夜の女王』で、ヒューゴー賞の長編小説部門を計4回受賞した。1959年の『宇宙の戦士』は、軍国主義を賛美する兵士の描写から右翼と呼ばれた。宗教やポリアモリーを扱った『異星の客』は、ヒッピーの経典と崇められた。社会主義者の名残が表れている『月は無慈悲な夜の女王』は、左翼と呼ばれた。多彩な顔を持った作家である。ロマンティックなタイム・トラベルものの『夏への扉』は、日本で特に人気が高い。1970年代になると健康が急に衰え、腹膜炎で命に関わる状態となり、回復に2年を要した。回復するとすぐ『愛に時間を』(1973年)を書き始めた。
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