伝記
ジョン・サルストンは、1942年3月27日にイギリスのバッキンガムシャー州フルマーで生まれた生物学者である。父アーサー・エドワード・オーブリー・サルストンは英国国教会の司祭で、海外福音伝道協会の事務を担っていた。母ジョゼフィン・ミュリエルは英語教師の職を辞して、彼と姉妹のマデリンの世話をし、5歳になるまで自宅で教えた。5歳で地元の予備校に入ったが、早くから運動競技を嫌い、動物の解剖や植物の切片づくりを楽しむなど、科学への関心を示していた。奨学金を得てマーチャント・テイラーズ・スクールに進み、さらにケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジへ進学して、1963年に自然科学(化学)で学位を得て卒業した。
卒業後はアレクサンダー・トッドの面接を受けてケンブリッジ大学の化学部に入り、ヌクレオチドの化学を研究して1966年に博士号を取った。その後1966年から1969年まで、アメリカ・ラホヤのソーク研究所で博士研究員として働いた。指導教官コリン・リースの手配でレスリー・オーゲルのもとに加わり、オーゲルからフランシス・クリックやシドニー・ブレナーを紹介されたことで、生物学の研究へ傾いていったという。オーゲルは彼を手元に残そうとしたが、ブレナーが説得してケンブリッジへ呼び戻し、MRC分子生物学研究所で線虫の神経生物学に取り組むことになった。
この研究所での最も重要な仕事の一つが、線虫の細胞がどのような順序で分裂するかを解き明かしたことである。彼とそのチームは、線虫の胚の細胞系譜をすべてたどることに成功した。やがて神経の完全な地図をつくり、DNAの研究からゲノム全体の解読へと進んだ。1998年には、アメリカのワシントン大学ゲノム研究所と協力して全ゲノム配列を発表し、線虫は動物として初めて全ゲノムが解読された種となった。彼は、線虫の解読が成功すれば大規模なゲノム解析が可能だと示せると主張して、この計画を実現させた。
線虫のゲノム解析が進むなかでヒトゲノム計画が始まり、彼はケンブリッジシャーに新設されたサンガー・センター(フレデリック・サンガーにちなむ名)のセンター長となった。2000年にヒトゲノムの作業用ドラフトが完成すると、センター長を退いた。ジョルジナ・フェリーとともに、ヒトゲノム解読に至る研究人生を著書『共通の糸』にまとめ、2002年に出版している。彼は遺伝子情報の特許取得に反対する運動の先頭に立ち、科学情報の自由な公開を支持していた。
1986年に王立協会フェローに選ばれ、1996年にダーウィン・メダル、2001年にナイトの称号を受けた。1991年と2002年にはガードナー国際賞、1997年にはローゼンスティール賞、2001年にはアストゥリアス皇太子賞学術・技術研究部門、2002年にはダン・デイヴィッド賞も受けている。2001年には王立研究所のクリスマス講演を担当し、2013年にはニュージーランド王立協会のラザフォード記念講演で人口圧力を論じた。2002年にはシドニー・ブレナー、ロバート・ホロビッツとともに、器官の発生と細胞のプログラム死の遺伝的制御に関する発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した。2017年には、科学と社会への貢献によりコンパニオンズ・オブ・オナー勲位を授けられた。同年10月にはケンブリッジ大学化学部の同窓生メダルも受けている。マンチェスター大学では科学・倫理・革新研究所の所長を務めた。2018年3月6日に没した。
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