HISTORICAL PERSON · 2018年没

ビリー・グラハム

アメリカを代表する福音伝道師、牧師。1950年に伝道協会を設立し、世界中の人々に福音を語ったといわれる。リバイバル運動の主力の一人となった。

生涯
2018年没
死亡地
アメリカ合衆国(ノースカロライナ州 / モントリート)
出生地
アメリカ合衆国(シャーロット)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ノースカロライナ州)

伝記

ビリー・グラハムは、1918年11月7日に生まれ、2018年2月21日に没したアメリカ合衆国のキリスト教(南部バプテスト連盟)の福音伝道師、牧師である。現代のアメリカで最も著名な福音派の人物で、「アメリカの伝道師」と呼ばれた。1950年にビリー・グラハム伝道協会を設立し、20世紀中ごろの信仰復興運動の主力の一人となった。これまで生きた誰よりも多く、世界中の人々に福音を語ったといわれる。

ノースカロライナ州シャーロットに近い、200エーカーほどの農場で生まれた。家庭では聖書を中心にした教育を受けたが、本人は宗教には無関心だった。16歳のとき、モルデカイ・ハムの伝道説教を聞いて信仰を持った。聖書学校に入り、そこで婚約した少女に、「敬虔な働き人になる印が見られない」と告げられて離れられたことに苦しみ、近くのゴルフ場でひざまずき、すべてを神に委ねる祈りを捧げた。その後は、イトスギを相手に伝道説教の練習を始めたという。最初の特別集会は、フロリダ州の教会で開き、その後ホイートン大学に入って人類学を専攻した。学費を稼ぐための家具の配達の仕事の最中に出会った女子大生に求婚し、大学を卒業した2か月後の1943年に結婚した。最初の牧会はイリノイ州のバプテスト教会で、教会員たちの協力を得て、ラジオ放送を引き継いだ。そこで福音歌手ジョージ・ビバリー・シェーと出会った。

1947年にノース・ウェスタン・スクールズの総長となり、同年のロサンゼルスの伝道集会で、伝道師として認められた。その前に、聖書の見方に悩んで森に入り、切り株の上に聖書を置いてひざまずき、「証明できないことがありますが、信仰によって聖書を神の言葉として受け入れます」と祈ったところ、神の臨在を体験して、大きな平安が訪れたと語っている。説教では、「聖書はこう言っている」と頻繁に語り、「イエス・キリストを、私たちの罪の身代わりとして死なれ、よみがえられた救い主として受け入れなさい」と率直に伝えた。国内外を非常に精力的に飛び回り、マディソン・スクエア・ガーデンなどで連続して伝道し、テレビなどのメディアも活用した。1957年7月には、ニューヨークのヤンキースタジアムの集会に10万人以上が集まった。1993年時点で250万人以上が、伝道大会で「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」ために進み出た。2002年には、ラジオとテレビを含め、生涯の聴衆は20億人に達した。日本では、1956年、1967年、1980年、1994年に、国際大会が開かれた。韓国へは1973年に、中国へは1988年に訪れ、1992年には、宗教者で非共産主義者の外国人として初めて、北朝鮮を訪れた。

冷戦のさなか、無神論の共産主義を敵視し、人々が神のもとに結集すれば、アメリカに神の祝福がもたらされると説いた。1953年に大統領に就任したアイゼンハワーは、反ソ連のために彼の反共主義を利用しようとし、両者は結びつきを強めた。ニクソンなど、多くの大統領の就任式で祈祷を担当し、大統領の霊的助言者であったとする主張がある。1956年には、雑誌「クリスチャニティ・トゥディ」を創刊した。1960年代後半の「セックス革命」を罪として批判し、妊娠中絶の合法化にも反対した。同性愛を「性的倒錯の罪深い形態」とし、1993年には、エイズについて、神の裁きであると思うと述べたが、後に撤回した。2001年に、四男のフランクリン・グラハムが、伝道協会の総裁に就任して跡を継いだ。

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