伝記
オリヴァー・スミティーズは、1925年6月23日、イギリスのウェスト・ヨークシャー州ハリファクスに生まれた遺伝学者である。父ウィリアムは生命保険の外交員、母ドリスは地元の技術学校で英語を教えていた。双子の兄弟と、妹が一人いた。近くの村の小学校から、ハリファクスの中等学校に進んだ。科学の道に入ったのは、子供のころにラジオや望遠鏡に強い興味をもったからだと、自身で語っている。
オックスフォード大学のベリオール・カレッジに奨学金を得て入り、最初は医学を学んだ。解剖学と生理学で賞を受け、1946年に生理学で首席の学位を得て卒業した。アレクサンダー・オグストンから、物理化学を生物の系に応用する個別指導を受けて感銘を受け、医学をやめて、二つ目の学位のために化学を学んだ。1948年に、オグストンと共著で最初の研究論文を発表した。1951年に、生化学の博士号を得て、論文題目は「タンパク質溶液の物理化学的性質」だった。
奨学金を受けて、アメリカ合衆国のウィスコンシン大学マディソン校の研究室へ博士研究員として行ったが、奨学金の条件にかかわるビザの問題で、アメリカを離れざるを得なくなった。1953年から1960年まで、カナダのトロント大学のコンノート医学研究所で、インスリンの研究者デイヴィッド・スコットのもとで働いた。ここで、インスリンの前駆体を探す研究の副産物として、1955年にデンプンをゲルにした電気泳動の方法を開発した。タンパク質をより精密に分けられるようになり、人間の血漿タンパク質の違いが遺伝することを示して、遺伝学への関心が生まれた。トロントの小児病院で医学遺伝学を学んだ。
1960年にウィスコンシン大学に戻り、1988年まで遺伝学部で、助教授、准教授を経て教授となった。1980年代に、ここでマウスの遺伝子標的法を開発した。相同組換えを使って、マウスの単一の遺伝子を置き換える方法で、同じ技術はマリオ・カペッキが独立に開発した。この研究は、がんや嚢胞性線維症、糖尿病を含む、さまざまな人間の病気で、特定の遺伝子の役割を調べる世界中の方法の基礎になっている。1988年以降はノースカロライナ大学チャペルヒル校の病理学の教授となった。2002年には、妻で同大学の病理学教授の前田信代とともに、遺伝子組み換えで高血圧のマウスを作った。
2001年にアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受け、2003年にウルフ賞医学部門を受賞した。2007年10月8日には、カペッキ、マーティン・エヴァンズとともに、「マウスの胚性幹細胞を用いて、特定の遺伝子を改変する原理を発見した」功績で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。ノースカロライナ大学チャペルヒル校で初のノーベル賞受賞者だった。色覚に異常があったが、自家用機の操縦免許を持ち、3機の飛行機を所有した。のちにアメリカに帰化した。前田と出会う前には、ウィスコンシン大学の研究者ルイス・キッツェと結婚していた。2016年12月に倒れるまで、学会や講演などの旅行がなければ、週に7日、研究室に出勤して自ら実験をする、生涯現役の研究者だった。350を超える論文を共著で書いた。2017年1月10日に亡くなった。
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