伝記
ユージン・アンドリュー・サーナンは、1934年3月14日にイリノイ州シカゴで生まれた、アメリカ合衆国の海軍軍人であり宇宙飛行士である。ジーン・サーナンとも呼ばれる。チェコ系とスロバキア系の移民の孫にあたり、シカゴ西郊のメイウッドで育った。幼いころから飛行機と操縦に惹かれ、パーデュー大学で電気工学を学んで1956年に理学士号を取得した。同時に海軍予備役将校訓練課程で操縦の訓練も受け、卒業後は海軍将校に任命されてジェット戦闘機のパイロットとなった。のちに海軍大学院から航空工学の修士号も得ている。
1961年の夏に海軍大学院に進み、初期のマーキュリー計画の飛行士たちの活躍を熱心に追った。第2期の宇宙飛行士の募集が行われたときは、テストパイロットの経験が乏しいことから応募をためらったが、ロケットの推進系を研究のテーマに選んで宇宙に近づこうとした。1963年にアメリカ航空宇宙局から、約400人の民間人と軍人とともに第3期の宇宙飛行士の候補に選ばれ、選抜の試験と面接を経て、宇宙飛行士の一員となった。
1966年にジェミニ9号A型の副操縦士として初めて宇宙を飛び、アメリカで2度目となる船外活動を行った。1969年5月にはアポロ10号の月着陸船のパイロットを務めた。この飛行は、月面着陸の予行演習であり、月軌道を周回して月面に接近した。そして1972年12月、アポロ計画の最後の飛行となったアポロ17号の船長として、タウルス・リットロー谷の月面に着陸した。クルーのハリソン・シュミットとともに、3度の船外活動で延べ約22時間にわたり月面を探査した。そのうち最初の船外活動は、アポロ11号のニール・アームストロングとエドウィン・オルドリンの活動時間の3倍に達した。月面探査車で35キロメートル以上を走り、月の成り立ちを解く鍵となる貴重な地質の標本を採集した。集めた岩石の量や走行距離は、それまでの記録を更新するものだった。サーナンはシュミットのあとで月着陸船に戻り、「月面を歩いた最後の人類」となった。ジェミニ12号、アポロ7号、アポロ14号では、予備のクルーの一員だった。
2度にわたって月へ向かった宇宙飛行士は、サーナンのほかにジム・ラヴェルとジョン・ヤングしかおらず、月面を歩いた人間は全部で12人である。月面には、娘のトレイシー・ドーン・サーナンの頭文字を記した。「不可能という文字を自らの辞書からなくす」を信条としたという。1976年、海軍大佐と航空宇宙局の職を退いて民間企業に移った。アポロ計画の記憶をもとに著書『ザ・ラスト・マン・オン・ザ・ムーン』を書き、2003年にはワシントン賞を受けた。
イリノイ州リバーグローブのトリトン大学のキャンパスには、その名を冠したプラネタリウム、サーナン地球・宇宙センターがある。月面を歩いた最初の人間のアームストロングと最後のサーナンは、どちらもパーデュー大学の卒業生である。1988年には、日本宇宙少年団と学研が主催したアメリカの宇宙関連施設を見学するツアーで、サーナンとの対面が目玉の企画となった。月面を歩いた最後の人類として名を残し、2017年1月16日にテキサス州ヒューストンで死去した。82歳だった。
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