伝記
クリストファー・スコット・カイルは、通称をクリスといい、1974年4月8日にテキサス州オデッサで、教会の執事であったウェイン・ケネス・カイルの長男として生まれたアメリカ合衆国の元軍人で狙撃手である。父は聖職者であったが狩猟には肯定的で、幼いころから息子に銃を扱わせた。8歳の時に初めての銃としてボルトアクション式のライフルを贈られ、父とよく狩猟に出かけ、弟と牧場で牛を育てるなど牧歌的な日々を過ごした。将来の希望はカウボーイか軍人だったという。高校を卒業するとロデオの競技者として生計を立て始めたが、腕を痛めて断念した。怪我が治ると、もう一つの夢だった軍人を考えるようになった。
1996年に大学を中退して軍の募集事務所を訪れ、海兵隊に志願しようとしたが担当官が不在で、代わりに陸軍の担当官と話した。希望していた特殊部隊には軍曹以上でなければ入れないと知って落胆し、勧められたレンジャーには気が向かなかった。そこで海軍の担当官から、ネイビー・シールズなら選抜試験さえ突破すれば入れると教わり、海軍への入隊を決めた。かつての治療で腕にピンが入っていることがわかり一度は断られたが、あきらめずに志願して1999年に入隊を認められた。同年、24週間にわたるシールズの基礎訓練課程に推薦され、これを突破して、チーム3に配属された。
2003年にイラク戦争が始まると、2009年に除隊するまでに4回イラクへ派遣され、ナシリヤ、ファルージャ、ラマーディー、サドルシティといった激戦地を転戦した。イラク軍やアルカーイダ系の武装勢力の戦闘員を、公式の戦果だけで160人殺害したとされる(非公式には255人とも)。多数の叙勲を受け、味方からは「史上最高の狙撃手」、敵側からは「ラマーディーの悪魔」と呼ばれて懸賞金がかけられた。狙撃手になったのは、1回目の派遣の後に狙撃学校を経てからである。ファルージャでは、屋上から海兵隊を援護する任務にあたったが、屋内に突入するたび反撃を受けて死傷する海兵隊員を見かねて、命令を無視し、地上の掃討作戦に加わるようになったという。ラマーディーでは親友のライアンが目の前で攻撃を受けて両目を失明した。本人は、殺した相手を「悪人」と呼び、撃ったことに罪悪感はないとしている。
4度の派遣は心身を蝕み、除隊する頃には体の故障や原因不明の高血圧、飛蚊症に悩まされていた。除隊後は、軍や法執行機関の隊員に訓練を行う民間軍事会社を立ち上げ、講演や執筆も行った。2012年1月には戦闘体験を綴った回想録を出版し、邦訳は『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』で、ベストセラーとなった。得た資金の一部をもとに、心的外傷後ストレス障害に悩む帰還兵のための非営利団体を設立し、余暇のほとんどをそうした活動に充てていた。
2013年2月2日、心的外傷後ストレス障害を患う元海兵隊員エディー・レイ・ルースの母親の依頼で、退役軍人のチャド・リトルフィールドとともにテキサス州の射撃場でルースに射撃訓練をさせていたところ、ルースが突然二人に発砲し、二人とも死亡した。ルースは2015年2月に始まった裁判で、弁護側が心神喪失を主張したが、2月24日に仮釈放なしの終身刑を言い渡された。カイルの生涯は2014年に公開された映画『アメリカン・スナイパー』の題材となった。一方で、勲章の数や発言には虚偽の指摘があり、元ミネソタ州知事ジェシー・ベンチュラは名誉毀損で訴え、裁判所は賠償金180万ドルの支払いを命じた。
同じ年に亡くなった人物
- トーマス・フォーリー (2013年没)
- Krsto Papic (2013年没)
- ジュリアーノ・ジェンマ (2013年没)
- マイケル・アンサラ (2013年没)
- ボブ・カーランド (2013年没)
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- ノーマン・ペティ (1984年没)
- ランドル・ギャレット (1987年没)
- ポール・アレクサンダー (2024年没)
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