HISTORICAL PERSON · 2017年没

サム・シェパード

アメリカの劇作家・俳優。戯曲『埋められた子供』でピューリッツァー賞を受け、『ライトスタッフ』ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。

生涯
2017年没
死亡地
アメリカ合衆国(ケンタッキー州 / ミッドウェー)
出生地
アメリカ合衆国(フォート・シェリダン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ケンタッキー州)

伝記

サム・シェパードは、本名をサミュエル・シェパード・ロジャース3世といい、1943年11月5日にイリノイ州のフォート・シェリダンで生まれた劇作家であり、俳優である。俳優として広く知られるが、本職は劇作家とされる。3人きょうだいの長男で、父は空軍の将校だった。サムが生まれたころは第二次世界大戦中で、父はイタリアに駐在する爆撃機の操縦士で、のちにスペイン語の教師になった。シェパードは父を「飲んだくれの、筋金入りのアルコール依存者」と語っている。母はシカゴ生まれで教師だった。

その後、一家はカリフォルニアに移り、パサデナ近郊のデュアルテの農場で羊を飼い、アボカドを育てた。この農場で過ごした幼少期の経験は、のちに作品の源泉となった。父が酒に溺れて家庭が傷んでいくなかで育ち、高校のころから詩を書き始め、芝居にも出た。馬の牧場で厩務員として働き、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を読んで強い印象を受けた。オレンジの摘み取りや羊の毛刈りの仕事もした。獣医を志して農学を学んだが、1年後に旅回りの劇団に加わり、1962年から1963年にかけて各地を巡業した。

19歳でニューヨークに出て、サム・シェパードの名を使い始めた。給仕をしながら劇作を続け、1964年10月16日に、「カウボーイズ」と「ロック・ガーデン」の二本立てでデビューした。評判は良く、オフ・オフ・ブロードウェイの劇場で次々と作品が上演された。1966年には「シカゴ」「イカルスの母」「赤十字」でオビー賞を3つ受賞し、これは前例のない出来事だった。ロックフェラー財団とグッゲンハイム財団の助成を受けて専業の作家になり、1969年に女優のオーラン・ジョーンズと結婚して、長男をもうけた。1971年には歌手で詩人のパティ・スミスと関係を持ち、共作の戯曲「カウボーイ・マウス」を書いた。同年に一家でイギリスに移って1974年まで暮らし、30歳になるまでに30作の戯曲が上演された。

アメリカに戻るとサンフランシスコに落ち着き、マジック・シアターの専属作家を10年務めた。この時期に、「飢えた階級の呪い」、1979年にピューリツァー賞を受賞した「埋められた子供」、「トゥルー・ウエスト」といった代表作を書いた。「埋められた子供」は近親相姦と殺人を描く物語である。1978年には映画「天国の日々」で俳優としてのキャリアを始めた。1982年には、映画「フランシス」の撮影で女優のジェシカ・ラングと知り合い、2009年まで共に暮らした。ふたりは結婚せずに、2人の子供をもうけ、ミネソタ州の牧場で暮らした。

1980年代にはヴィム・ヴェンダース監督の依頼で書いた脚本「パリ、テキサス」が、1984年にカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞した。出演した「ライトスタッフ」では、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。1990年代以降も劇作を続けながら、俳優として活躍した。タイプライターでの執筆にこだわり、2000年代になってもこれを愛用した。2017年7月27日、ケンタッキー州ミッドウェイの自宅で、筋萎縮性側索硬化症により73歳で死去した。死後、病との日々を子供たちが録音した声をもとに書いた遺作『スパイ・オブ・ザ・ファースト・パーソン』が出版された。

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