伝記
パティ・デュークは、本名をアンナ・マリー・デュークといい、1946年12月14日にニューヨーク市マンハッタンのベルビュー病院で生まれたアメリカ合衆国の女優である。3人きょうだいの末っ子で、父ジョン・パトリックはアイルランド系の便利屋でタクシーの運転手、母フランシス・マーガレットはレジ係だった。一家はクイーンズのエルムハーストに暮らしたが、父はアルコール依存で、母は臨床的な鬱病を患って暴力に走りがちであり、子どもたちには困難な子ども時代だった。デュークが6歳のとき母が父を家から追い出し、8歳のときには、子役の売り込みをしていたジョン・ロスとエセル・ロスの夫妻に託された。
ロス夫妻の管理は、しばしばあくどく、搾取的だったとされる。年齢を実際より2歳若く偽り、経歴に偽りの出演歴を加え、酒や処方薬を与えて、不当に高い手数料を稼ぎから取った。デュークは父とは会えず、母とは、夫妻の洗濯物を持って訪ねるときにしか会えなかった。夫妻は名前も変えさせ、「アンナ・マリーは死んだ。お前は今日からパティだ」と告げた。1950年代にはメロドラマやコマーシャルに出演した。1959年、12歳でクイズ番組に出て3万2千ドルを獲得したが、この番組に不正が行われていたことが明らかになり、上院の関係者の前で証言を求められ、偽って答えるよう指導されたと認めて泣き崩れた。
同じ1959年に、ブロードウェイでヘレン・ケラーとサリヴァン先生を描いた舞台『奇跡の人』に出演し、ヘレン・ケラーを演じた。公演は同年10月から1961年7月まで続き、劇場の看板では若い女優としては異例のことに、デュークの名が作品名より上に掲げられたと考えられている。1962年の映画化でも同じ役を演じてアカデミー助演女優賞を受賞し、16歳での受賞は、当時競争部門で最年少だった。続いて、脚本家のシドニー・シェルダンが彼女のために企画した『パティ・デューク・ショー』が1963年9月に始まった。シェルダンはデュークの性格に二つの面があるのを見て、性格の違う「そっくりないとこ」という設定を考え、デュークは陽気な米国人のパティと、お堅いスコットランドから来たキャシーの二役を演じた。この番組は日本でも1964年から1966年にかけてTBSで放映され、人気を博した。デュークは来日しており、箸を使って食事をする写真が残る。
その後は成熟した役に移り、1967年の映画でニーリー・オハラを、1969年の映画ではナタリー・ミラーを演じた。後者でゴールデングローブ賞を受けている。1976年にはエミー賞を受賞し、1979年のテレビ映画『奇跡の人』では、今度はサリヴァン先生の役を務めた。1985年から1988年までは映画俳優組合の会長だった。1982年に双極性障害と診断されてからは、精神の健康について社会に訴え、教える活動に多くの時間を費やした。歌い手や著者としても活動し、息子はショーン・アスティンとマッケンジー・アスティンである。2016年3月29日、アイダホ州コーダレーンで敗血症のため、69歳で亡くなった。アカデミー賞、ゴールデングローブ賞2回、エミー賞3回のほか、ハリウッドの殿堂に星を持つ。
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