伝記
レオン・レーダーマンは、1922年7月15日に生まれ、2018年10月3日に96歳で没したアメリカ合衆国の実験物理学者である。「笑う実験物理学者」の異名をもち、1988年にノーベル物理学賞を受けた。日本語版の記事はニューヨーク州バッファローの生まれとし、英語版の記事はニューヨーク市の生まれとしていて、記述が食い違う。両親はキエフとオデッサから来たウクライナ系ユダヤ人の移民で、父はモリス、母はミンナという。サウスブロンクスのジェームズ・モンロー高校を卒業し、1943年にニューヨーク市立大学シティカレッジで学士号を得た。
第二次世界大戦中は陸軍通信隊に入り、除隊後に物理学者になるつもりだったという。1946年の除隊後にコロンビア大学の大学院へ進み、1951年に博士号を取得した。そのままコロンビア大学で教え、1958年には教授となり、ユージン・ヒギンズ教授職に就いた。1960年には休職してジュネーブの欧州原子核研究機構に滞在している。1956年には、弱い相互作用におけるパリティ(空間反転)対称性の破れの研究にかかわった。ガーウィンやワインリッチとともに既存のサイクロトロン実験を改造して、すぐにこの破れを確かめたが、ウーの研究グループの準備が整うのを待って発表を遅らせ、二つの論文は同じ雑誌に並んで掲載された。
研究の大きな成果は二つある。1962年にはブルックヘブンの陽子加速器を使い、ニュートリノの反応を調べて、電子ニュートリノとミューニュートリノが別のものであることを示した。この仕事により、ニュートリノビーム法とレプトンの二重構造の実証が評価され、1988年にメルヴィン・シュワルツ、ジャック・シュタインベルガーとともにノーベル物理学賞を受けた。もう一つは1977年のボトムクォークと反ボトムクォークの対であるウプシロン中間子の発見である。1976年に彼が率いる実験班は、質量約6.0ギガ電子ボルトの粒子が作られたと発表したが、追加のデータでその粒子は存在しないとわかった。この誤った「発見」は、ウプシロンと彼の名を掛けて「ウープス・レオン」と呼ばれ、翌年、より高い9.5ギガ電子ボルトの質量でウプシロン中間子が見つかった。
1978年から1988年まではフェルミ国立加速器研究所の2代目所長を務め、テバトロンの建設を指揮した。テバトロンは長年、世界最高エネルギーの粒子衝突型加速器であった。また超伝導超大型加速器の計画を強く支持し続けたが、計画は1993年に約20億ドルが費やされたところで中止された。この計画への理解を広めようと書いたのが、1993年の一般向けの著書『神の素粒子』(原題は「ゴッド・パーティクル」)である。1986年にはイリノイ数学科学アカデミーを設立し、1989年にコロンビア大学を辞めてからは、シカゴ大学やイリノイ工科大学で教え、非専攻の学生に物理を教えることにも自ら取り組んだ。1992年にはアメリカ科学振興協会の会長を務めた。
受賞も多く、アメリカ国家科学賞(1965年)、ウルフ賞物理学部門(1982年、マーティン・パールとともにクォークとレプトンの研究で受賞)、エンリコ・フェルミ賞(1992年)、ヴァネヴァー・ブッシュ賞(2012年)などを受けている。高校の理科で物理を化学や生物より先に学ばせる「物理ファースト」運動の主な推進者でもあった。2012年から亡くなるまで、自ら設立したイリノイ数学科学アカデミーの名誉研究員を務めた。
同じ年に亡くなった人物
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