伝記
オーネット・コールマンは、1930年3月9日にアメリカ合衆国テキサス州フォートワースで生まれたジャズのサックス奏者である。アルト・サックスを中心に、トランペットやヴァイオリンも演奏し、フリー・ジャズの先駆者とされる。14歳でアルト・サックスを始め、15歳のころにテナー・サックスに転向し、16歳で高校を中退してからは、家計を助けるためにリズム・アンド・ブルースやビバップを演奏していた。バトン・ルージュでの公演の際に暴漢に愛用のテナーを壊されたため、グラフトン社の白いアルトに持ち替えた。1956年には息子が生まれ、この息子はのちにコールマンのバンドでドラムを叩くことになる。
1958年にロサンゼルスのコンテンポラリー・レコードと契約し、ドン・チェリーらを従えて、初のリーダー・アルバム『サムシング・エルス!』を発表した。同じレーベルには、翌年の『明日が問題だ』を含む2枚の録音を残している。彼の才能を高く評価したモダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイスの勧めでニューヨークに移り、1959年にアトランティック・レコードへ移籍した。チャーリー・ヘイデンやドン・チェリーらとともに、『ジャズ来るべきもの』『世紀の転換』『フリー・ジャズ』など、実験的で前衛的な作品を次々に世に出した。カントリー・ブルースの歌手がジャズを演奏しているかのようだ、とも評された。
この新しい音楽は一大センセーションを巻き起こした。ジョン・ルイスらモダン・ジャズ・カルテットのメンバーは高く評価した一方で、マイルス・デイヴィスやマックス・ローチは批判した。それでも、彼の先進性は、フリー・ジャズという新しい前衛ジャズの流れを生み出していった。1960年代前半にいったん活動を停止したが、後半には再び活発に動き出し、ヨーロッパ・ツアーを収めたライヴ盤『ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン』は高い評価を受けた。トランペットとヴァイオリンもこなすようになり、ブルーノートの『ジ・エンプティ・フォックスホール』など、自身のリーダー作でその成果を披露した。1968年には同じレーベルから『ニューヨーク・イズ・ナウ』と『ラヴ・コール』も出ている。
1970年代後半からは、ファンクやアフリカ音楽といった黒人のルーツを探り、「フリー・ファンク」とも呼ばれるファンキーな『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』や『ボディ・メタ』などを制作した。この時期に「ハーモロディクス理論」という独自の理論を考案している。当時のバンドには、ジェイムス・ブラッド・ウルマーやロナルド・シャノン・ジャクソンらがいた。1985年にはパット・メセニーと『ソングX』を録音し、1988年には、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが3曲に加わった『ヴァージン・ビューティー』を発表して、ピーター・バラカンから高く評価された。1991年には映画『裸のランチ』の音楽に参加した。2001年に高松宮殿下記念世界文化賞を受け、ジャズ奏者の受賞者はオスカー・ピーターソンとコールマンだけである。2007年にはピューリッツァー賞とグラミー賞の特別功労賞生涯業績賞を受けた。2015年6月11日、ニューヨークで心停止により死去した。
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