HISTORICAL PERSON · 1985年没

ユル・ブリンナー

ウラジオストク出身の俳優。1940年代に米国へ移って演技を学び、1950年代中盤からアクション映画や歴史大作で活躍した。

生涯
1985年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
ロシア連邦(ウラジオストク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

ユル・ブリンナーは、1920年7月11日にウラジオストクで生まれた俳優で、本名はユーリイ・ボリソヴィチ・ブリーニェルという。生年月日は長く1915年7月7日とされてきたが、実際は1920年7月11日といわれる。父ボリスは鉱山技師で発明家であり、スイス系ドイツ人とロシア人の血を引き、祖母はブリヤート人の血をひくユーラシア系の女性だった。祖父のジュール・ブリーニェルは、1870年代にウラジオストクに移ったスイス国民で、輸出入の会社を成功させた。母マリア(マルーシャ)は、ロシアの知識階級の出で、女優と歌手を目指して学んだ人であった。彼女は息子に、ロマの血を引くと語ったが、のちの歴史家の調べでは、一家にロマとの血縁はなかったとされる。ユルは、シベリアや極東で土地や銀鉱を開発した裕福な一家の、4階建ての邸宅で生まれ、祖父にちなんで名付けられた。1922年に赤軍がウラジオストクを占領すると、一家の財産の大半は国家に没収された。ブリンナーは後年、新聞記者らに、サハリン島でモンゴル人の父とロマの母の間に生まれたとか、ニコライ2世の甥だなどと、法螺話を面白おかしく語ることを好んだ。

1924年に父は母と離婚したが、母と子らを支え続けた。父と子の関係は、複雑で、感情的に傷つくものであり続けた。1927年、マルーシャは子供たちのユルとヴェーラを連れ、ウラジオストクから中国のハルビンに移った。姉弟はそこでキリスト教青年会の学校に通った。ブリンナーはのちにパリでナイトクラブのミュージシャンやブランコ曲芸師として働いたが、俳優を志すようになり、1941年にアメリカに渡って演技の勉強をした。ラジオやテレビのシリーズに出演するようになり、1950年代の中盤から、アクション映画や歴史大作でエキゾチックな魅力を発揮した。

『王様と私』のシャムの王様役は当たり役だった。1952年にロジャースとハマースタインのミュージカルでトニー賞を、1956年には映画版に主演してアカデミー主演男優賞を受賞した。当初は髪を生やしていたが、シャム王役のイメージが定着したため、すべて剃り落とし、以後は坊主頭がトレードマークとなった。その後は西部劇やスパイ映画にも手を広げ、精悍な古きよきヒーロー像を演じ続けた。1956年にはセシル・B・デミルの大作『十戒』でラメセス2世を演じ、1960年の『荒野の七人』の凄腕の銃使いや、1973年の『ウエストワールド』のアンドロイドの役でも知られる。1970年代以降は、SFやカルト的な映画での悪役など、強烈な個性を武器にした性格俳優としての顔も見せた。

4度結婚し、5人の子供がいる。最初の妻は女優のヴァージニア・ギルモアで、長男のユル・「ロック」・ブリンナーは作家になった。癌によって死期が近いことがわかると、1985年1月から6月まで、当たり役の『王様と私』に出演した。この舞台に、生涯に4633回出演した。同年10月10日、肺癌で亡くなったが、生前に撮影された、タバコの害を警告するCMが没後に放映されて話題となった。CMは、自分が肺癌になったのは喫煙のせいだと告白する内容だった。祖父は長崎で商社員として働き、長崎通詞も務めたと伝えられる。

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