伝記
シャルブ、本名ステファヌ・シャルボニエは、1967年8月21日にフランスのコンフラン=サント=オノリーヌで生まれた風刺画家であり、ジャーナリストである。父は郵便電信電話局の技術者、母は秘書であった。ポントワーズの中学校に通い、学内誌に最初の絵を発表した。その後、カミーユ・ピサロ高校で1987年に大学入学資格を得ている。若いころは地元の新聞や、サン=トゥアン=ローモーヌの映画館の会報などで絵を描き、広告の専門課程にも通ったが、絵に専念するために中退した。すでにシャルブの名で中学生向けの手作り雑誌に描いており、アルバイトをしながら絵を描き続けた。
1987年、テレビの討論番組の観客席から、絵を描いたカードを掲げて発言する若者に、ジャン=ピエール・ブーディヌが目を留め、その後、本人と連絡を取った。当時のシャルブは、ポントワーズの高校で生徒の監督員を務めていた。数年にわたって数学雑誌の挿絵を担当し、1991年には湾岸戦争のさなかに創刊された風刺週刊紙『ラ・グロス・ベルタ』で描いた。翌1992年、同紙を離れて『シャルリー・エブド』を再建するフィリップ・ヴァルやカビュに従い、この風刺新聞のメンバーになった。ここでは「シャルブは大衆嫌い」という連載欄を受け持った。1995年には子ども向け日刊紙『モン・コティディアン』の創刊に際し、二つのマスコットを生み出した。漫画雑誌『フリュイド・グラシアル』の小冊子には、「アヤトラ・シャルブのファトワー」という月例の欄も持った。2007年にはテレビ番組でスタジオの場面を絵に描く役を務めている。そのかたわら、『モーリスとパタポン』や警官を主人公とした『マルセル・クフ』など、自作の人物を描いた著書も数多く出した。
政治的にはフランス共産党を長く支持し、2009年の欧州議会選挙と2010年の地方選挙では左派戦線を支持した。2009年にはヴァルの後を継いで『シャルリー・エブド』の編集長となり、編集方針を守り続けた。2006年にデンマークの新聞に載ったムハンマドの風刺画を転載したことをきっかけに、特にイスラム諸国から激しい非難を受けた。2011年11月には事務所に火炎瓶が投げ込まれて全焼し、以後は警察の保護下で暮らした。2012年には、こうした状況について「跪いて生きるくらいなら立ったまま死んだほうがましだ」と語っている。ライシテ(政教分離)を熱心に支持し、同年には「ライシテ賞」の審査委員長も務めた。2013年5月には、アラビア半島のアルカイダの機関誌『インスパイア』が、サルマン・ラシュディらとともに、シャルブの名前も「手配中の人物」として挙げた。
2015年1月7日、シャルリー・エブドの編集会議が開かれていた部屋に襲撃犯が入り、シャルブは名を呼ばれたうえで最初に殺害されたとされる。47歳であった。事件の2日前に、長年の脅迫と新聞の姿勢を説明する文章を書き上げたばかりだった。1月16日、ポントワーズで葬儀が営まれ、法務相や教育相、文化相、パリ市長らが出席した。壇上に上がった仲間たちは、シャルブの好きだった陽気な音楽を演奏し、肩を抱き合って踊ったという。
同じ年に亡くなった人物
- Aarthi Aggarwal (2015年没)
- スタニスラフ・グロス (2015年没)
- ロバート・コンクエスト (2015年没)
- ロジェ・アナン (2015年没)
- ヘンリー・カー (2015年没)
同じ地域に関係する人物
- ギュスターヴ・ランソン (1934年没)
- マリー=ギエルミーヌ・ブノワ (1826年没)
- ポール・ランドスキ (1961年没)
- ジギスムント・フォン・ノイコム (1858年没)
- ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク (1831年没)